Thursday, December 15, 2005

冬の朝

冬の朝、蛇口をひねるとお湯が出る。わが家でもそれが当たり前になってから随分経つ。
子供の頃は、冬の水は切れるように冷たいものだった。ばしゃばしゃっといい加減に顔を洗うと、それではダメだと叱られたが、一方で、お湯を沸かしてくれた。少し大きくなると、その薬缶を自分で運び、洗面器の水に足してつかった。水道が凍ってしまうこともよくあり、これまた薬缶のお湯を屋外の水道管にかけにいった。

このところ、若年者による、常識では考えられないような犯罪が頻発している。なぜ、小学6年生の女の子をうまく指導できないからといって、殺そうということになってしまうのか、23歳にもなる男が。

飛躍しすぎかもしれないが、冬の朝の水のような、ちょっとつらいけれどみんな我慢し、自分も我慢することを覚えていく、成長過程でのそういう当たり前の経験の不足が、遠因にあるのではないだろうか。親、そして周囲の大人は、子供に対し、小さい時からストレス耐性を身に付けさせるよう、もっと意識すべきなのだと思う。

Wednesday, December 14, 2005

ガジャルド

FMでホセ・マリア・ガジャルド・デル・レイ作曲、ギター演奏の「カリフォルニア組曲」を初めて聞いた。
美しい曲だ。

ガジャルドは、スペイン出身とのこと。
カリフォルニアとスペインといっても、曲には米墨戦争を思い起こさせるような要素は全くないのだが、ぼくの頭の中でこの二つに結びつくのは、戦争を勝利に導いた提督の名前。

13年前だったか、アメリカからCIRとして茨城に来ていた友人の案内で、カリフォルニアを車で旅した。途中モンタレーで、彼が誇らしげにこれを見ろと言ったのが、Sloat Avenueの標識。道路に名を残したスロート提督は、彼の祖先だったのだ。

ガジャルドに戻る。この曲のはいっているCDには、彼が弾くバッハやピアソラの曲もあった。先ほどアマゾンで注文した。

Monday, December 12, 2005

体重感覚?

毎日のように体重計に乗る。健康を気にしてというより、単なる癖。
それで気づいたのだが、測る前に、だいたい今日は何キロという見当がつくのだ。それも、0.2kgか、せいぜい0.4kgぐらいの誤差で(うちの体重計の最小計量単位は0.2kg)。

どうしてこんなことが可能なのか。重力を感じる神経はあるだろうが、それは、その神経の末端付近にかかる重力についてしか捉えていないはず。とすると、脳が、全身の神経から入ってくる重力情報を積算しているのか。まさか。

などとしばしまじめに考えた末の、現時点での仮説。
食べ過ぎたあと、お腹が重いと感じる。あれに近い機能が働いているのではないか。これは、重力感覚とはもしかすると違うかもしれない。例えば、胃・腸周辺の血液中の糖とか脂肪の量についての化学的感覚、あるいは、胃・腸からの圧迫度合いについての皮膚感覚など。
そういう感覚、体感であっても、実際の体重と密接な関係はあるはず。
そしてその体感は、何度も何度も計量しているうちに、例えば68kgのときはこんな感じ(お腹あたりがちょっと軽い)、70kgのときはこんな感じ(お腹あたりがちょっと重い)というふうに、体重の数値と結び付けられて記憶されているのではないか。その記憶中のデータベースを参照することにより、現在の自分の体感を引数として体重が推量される。そんな仕組みではないだろうか。

昨日、今xx.xkgぐらいだなと思ってから、水を500ml程飲んだ。その後体重を測ったら、さっき推定のxx.xkg。つまり0.5kg分外れてしまったわけだが、これも、血中の何かの量についての化学的感覚を出発点として体重を推量しているためと考えれば、説明できるかもしれない。重力感覚と異なり、水を飲んでもこちらの感覚は変わらないわけだから。まあ、単に昨日はいつもより推量の誤差が大きかったのかもしれないが。

こういう研究は、既になされているのだろうか。

Saturday, December 10, 2005

ピーター・バラカン

たまにしかないことだが、土曜日の朝、車を運転する時には、FMでピーター・バラカンのモーニング・サンシャインを聞く。この番組で初めて聞き、好きになった曲は数多い。

今朝は、「音楽がわかる世界地図」という本について、編集した中島ますみさんと語りながら、関連する曲を紹介するという趣向。
世界の楽器の話に絡めてバラカン氏が選んだ曲はどれもよかったが、特に、Ravi ShankarのBangla DhunとRy CooderのYellow Rosesは、CDが欲しくなった。

Ravi Shankarは、コルトレーンが大きな影響を受けたといったことは知っていても、これまでちゃんと聞いたことがなかった。うねうねうねうね旋律が続く。小さな波を繰り返しながらゆるやかな大きな波を形作っていく。これだけなら、音楽はたいていそうじゃないかということになるが、何なのだろう、何かが決定的に違う。音楽学ではどう分析しているのか後で読まねばならないが、一つ言えそうなのは、どうも「小節」という概念はないんじゃないか、ということ。基礎となる単位があってその整数倍が上位の単位になる、という西洋音楽の形式とは違いそうだ。同型を何度も繰り返すのだが、繰り返す回数、従って一つのパターンの長さが、随時違っているのかもしれない。
だからなのだろうか、繰り返しを飽かず聞くうちに16分強という時間が過ぎていた。

Ry Cooderの曲は、彼がスラックキー・ギターを弾いたハワイアン。ここまで緩いのはそんなに知らない程のゆるさだが、だらしなさにつながる緩さとはまた違う。トロピカルなカクテルを飲みながらうつらうつらしたい、でも、着ているアロハシャツはおしゃれに決めたい、というところか。
それにしても、同じRy Cooderが"Stranger than Paradise"も"Buena Vista Social Club"も手がけているというのだから、なんという才人だろう。

そして、Peter Barakanも。いったい、どれだけの音楽を聞いているのだろう、この人は。それも、背景となる時代や地域、ミュージシャンの人物像、前後の音楽との関連を深く理解しながら。

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今日の曲目を確認するためにNHKのサイトを見ていたら、ピーター・バラカンのベスト50というリストがあった。Ry Cooderの“Into The Purple Valley”が31位。わがジャズでは、マイルスが5位、コルトレーンが28位に登場。1位はMuddy Watersの“The Best of Muddy Waters”。(聞いたことなし。)
何万枚というレコードを聞いている人が50枚に絞り、かつ順位をつけるのは、大変な難事なのだろうか、案外簡単なのだろうか。

Wednesday, December 07, 2005

松下の対応を評価する>>取り消し

石油温風器による事故に対する松下電器の対応には感心した。
中毒事故を何度も起こし、死者も2名出てしまったという大変な事故だから、当然といえば当然なのだろうが、ここまで徹底することはなかなかできないのではないか。
商品の買取自体が異例らしいが、これは購入者からすれば最低限だろう。
それ以外の、CMを注意呼び掛けに切り替える、町内会の回覧板でも呼びかける、石油の小売をしている燃料商を通じて情報を集める、こういう対応を聞くと、考えられるあらゆることをしようとしているなと思う。事故についての会社の悔い、無念、申し訳なさが伝わってくる。担当役員の「草の根を掻き分けてでも」という言葉にも、この会社が人の心を持っていると感じる。

経常利益2500億円の松下だからこそできる対応という面もあるが、姿勢としては多くの企業の模範になると思う。

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上記の記事を取り消します。企業というものを見る目が甘かったようです。
松下の言い分もあるようなので、保留にしてもいいのでしょうが、疑いを否定できない以上、取り消し。
cf.
温風機中毒の公表前、松下が部品を無償交換

2005.12.12

Wednesday, November 30, 2005

仲代達矢

今日の「私の履歴書」最終回には、正直のところ参った。
恭子さんに語りかけられた最後の一言が眼に入った瞬間、うっ。
記憶の底に沈めておいた思いが一つの塊になって立ち上がったような感覚。

いくら演劇人だからって、仲代さん、こんなに悲しく、美しいラストを朝から読ませるなんて、罪ですよ。

(それにしても、初回から今日まで、見事に構成された履歴書だった)

Monday, November 28, 2005

横浜トリエンナーレ

3年前とは全く別の会場だった。
ゲートから3号上屋まで徒歩10分と書いてあったが、歩き始めてすぐのボートの作品でいい気分になり、ひらめく旗はきっとビュランだと思ってガイドマップを見たらその通りなのでさらにいい気分になり、加えて、港の眺め空の青さともに申し分なく、実に快い10分(もっと短いと感じた)だった。

通常の美術館スケールを遥かに越える大倉庫2棟を使った展覧会。特に、天井の高さが圧倒的。
そうでなくても場を意識する現代アーティストに、「場にかかわる」というお題まで出したわけだから、スペースを活用あるいはスペースと対決する作品が多数。
即ち、目立った形態としては:作品の総容積がでかい、背が高い、色が派手、床に色々置いて回りを見させない、小屋のようにして客を二次空間に囲い込んでしまう、ぐるぐる歩かせる・上ったり下りたりさせる、などである。
奈良美智などは、囲い込んだ上に二階まで上らせ、さらに、屋外に出してしまうという徹底ぶり。小屋の板張りがいかにも川俣正好み。この辺のプランが功を奏したのかどうかは知らないが、奈良の得たスペースは今回最上といっていいだろう。板張りの一部を切り抜いた窓から飛び込んできた空と海とベイブリッジの美しさ!誘導されて出た屋外の爽快さ!

好きな作品、印象に残った作品をいくつか。
前述のボート。外観からの印象とは全然異なり、船内は居心地のいいリビングになっている。置いてあったシャンパン、夜開けるのだろうか。
らくだのシルエットが室内を歩く映像作品。キュート!
神村恵のダンスパフォーマンス。パフォーマンスによって、空の青さが際立った。最も場にかかわった作品と言えるかもしれない。
会場のあちこちに設置された双眼鏡。

近ければ、夜もう一度見てみたいのだが。

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来場者10万人を越えたという。現代アートの展覧会としてはかなりの数と思う。それでも入場料収入は最大1億8千万円。協賛を加えても支出を大きく下回るだろうことは明白。大部分は国際交流基金と横浜市の負担か。
入場料収入で採算をとろうとしたらこういう展覧会は不可能。誰が負担すべきなのか。公的負担はおかしいと考える人もいるだろうし、文化を育てることの長期的意義を考えれば負担は当然と考える人もいるだろう。
ぼくの頭の中の綱引きは、負担当然側優勢ではあるが、はっきりとは勝負がついていない。

Tuesday, November 22, 2005

上海のコーヒー

今月初めに行った上海では三か所でコーヒーを飲んだ。
浦東地区のホテルの日本食レストラン、サラリーマン向けの和食食堂、外灘3号館のカフェ。
ホテルのコーヒーは、特に印象に残っていない。普通の味だったのだろう。
食堂のは、昼定食に付いてきたもの。これはコーヒー音痴のぼくでも、なんじゃこれは?と思う代物。コーヒーらしき色はついているが、味も香りも全くない。
外灘のカフェは、"Three on the Bund"という、マイケル・グレイヴスのデザインで古い洋館を改装したビルの最上階。ビルにはアルマーニのショップ、現代アートのギャラーリー等がはいっており、最近注目されているという。カフェの入り口側はレストランになっていて、通路脇にはずらっとワインが並ぶ。バーもあり、見たところコニャック、スコッチあたりが色々。テーブルや椅子はシンプル、モダン、スマート。一番奥の窓際に座った同行の通訳嬢は、「ここ、テレビドラマに出てきたわ」と喜んでいた。ガラスの天窓があり、そこから雨漏りし始めていたが、店員は淡々と処置していた。
コーヒーの話だった。実にまっとうな、おいしいコーヒーだった。500円程度だから、中国では奢侈品の部類だろう。
茶の国中国では、コーヒーの味にこだわる人はまだ少ないらしいが、こういう空間でおいしいコーヒーを知れば、本物志向になるだろうと思う。一方で、これがおしゃれなんだと、コーヒーまがいの液体を飲んで喜ぶ若者も増えるんだろうな。

Wednesday, November 02, 2005

ポータルサイトの地図

前にGoogle mapについて書いたが、日本勢もなかなか頑張っていた。
Gooもlivedoorも、マウスドラッグで国内はどこまでも辿れる。加えて、ピンポイントで位置指定しURLをメールで送れる。さらに、出発地と目的地を指定すると、経路を探索してくれる。
いずれも、カーナビで磨かれた技術の応用だろう。
Gooとlivedoorのどちらがいいかとなると、これが一概に言えない。地図そのものの詳しさはGooが上。(NTTの基礎データを活用?) 経路探索はlivedoorが上。Gooは条件設定ができたりして高機能に見えるのだが、遅い。かつ、条件によっては変なルートを出してくる。
付加的な機能もlivedoorの方が面白い。地域にコメントを付けられたり、My pageに指定ポイントを登録できたり。

ところで、地図の基礎データは、各社独自に収集・入力しているのだろうか。同地域同縮尺でも、ある店の名が出てたり出てなかったりするところを見ると、たぶんそうなのだろう。これだけ膨大な作業を何社もがばらばらやっているというのは、少し無駄のような気もする。いずれ競争で差がついてくると、これについても合併吸収されるのだろう。
そうなれば、それぞれのいいとこ取りがされるだろうから、そう遠くない時期に、かなり実用的で面白い地図サービスが実現することは間違いあるまい。

それにしても、Googleのようなぶっ飛んだことをやるサイトはたぶん日本では出ないだろうと思う。鳥瞰したり衛星瞰したりしながらドラッグで世界一周することは、好奇心を大いに満足させるが、今日行く店を探すこととは関係がない。従って、費用に見合う利益がすぐに上がるとは考えにくい。それでもGoogleがこれをやるのは、極端な形から発想することが企業文化だからなのだろう。そして、それこそが、本当に革新的なものを産み出す方法なのだろう。

Sunday, October 23, 2005

mixi

このところ、GREEにはほとんどログインせず、mixiばかり使っている。
仕事関係はGREEと思っていたのだが、なかなかうまくいかない。同世代の同業者があまりメンバーにいないらしいことが恐らく一番の要因。

一方で、mixiでは参加コミュニティが随分増えた。音楽、美術、食べ物、飲み物、旅行等で面白そうなものが色々ある。趣味の世界は世代関係なしと勝手に決めて、たまに書き込むとちゃんと反応がある。正直、嬉しい。

11月初めに上海に行くのだが、これも、上海関係のコミュニティで、ある若い中国人が書いたものを読んで意思を固めた。現在、何人かと情報交換中。これまでの海外旅行とは随分違った展開になりそうで楽しみだ。

Tuesday, October 18, 2005

新谷弘実「病気にならない生き方」

(GREEのレビューに書いたもの)

説得力のある本である。健康法の本は数多あるが、説得力という点で出色だと思う。
疑問に思う点がないわけではない。そもそもの根幹にあるミラクル・エンザイム(酵素の元になっているもの)の存在を始め、著者自身仮説と断っている命題が多数ある。今まで死亡診断書を書いたことがないという主張についても、著者の方法の妥当性を強化するものだとは、私は思わない。

が、にもかかわらず、説得力がある。なぜなのだろう。
例えば、牛乳は飲まない方がいいという私には衝撃的な主張がなされる。理由としては、均質化する際に酸化が進んでいる、そもそもどんな動物でも母乳を飲むのは乳児だけ、牛の乳のラクトースはヒトには消化困難であるから、と。
あるいは、油は減らした方がいいという。理由は、植物から油を採る時、今は絞るのではなく溶剤で溶かしてそれから溶剤を飛ばすという化学的方法を用いているから。
あるいは、肉は食物全体の8分の1でいいという。理由は、人間の歯のうち、犬歯は全体の8分の1、これが摂取すべき食べ物の割合を示しているから。等々。

データや式の類はほとんどない。日常の論理と、中学・高校で学んだ生物・化学の知識だけが拠り所の私のような者にとって、実に分かりやすい説明なのだ。

科学者からの反論は数多くあるだろうと思う。牛乳業界、マーガリン業界、食肉業界も黙ってはいないだろう。
どちらが正しいのか、論争は大いにやってほしい。
でも、決着が着くまで待てない私は、牛乳をやめ、肉を減らし野菜を増やし、1日1500cc以上のミネラルウォーターを飲み始めた。(酒も少し減らした)

Monday, October 17, 2005

iTunes

iPodはまだ持っていないが、iTunesの利用を始めてしまった。
(「しまった」という背景には、大変なことにはまってしまった、いやはや、という思いがもちろんある。)

もともと、気に入った曲を色々な歌、演奏で聴きくらべるのが好きで、例えば、20人が歌う"Yesterdays"とか、"Song is you"の演奏10通り、などというCDを自分用に作ってみたいと思っていた。そのために、大きなCDショップでジャズ・ヴォーカルの棚を片っ端見、"Yesterdays"1曲が入っていれば他の曲は何であれ買う、なんてこともかつてはした(ほんの数枚だが)。
今でこそ、Amazonなどで曲名検索をすれば、それが入っているCDがある程度見つかるから、だいぶ楽にはなったが、コストがかかるのは変わらない。1曲のために2500円!
それが、iTunesでは1曲単位で買えるのだから、検索結果を見てついにやにやしてしまう。

しかし。Appleの罠は巧緻であった。1曲買いするつもりでいても、なかなかそうは卸してくれない。検索結果には、アルバム名も当然出る。元々嫌いなわけじゃないのだから、つい、そのアルバムの内容を見る。各曲30秒だけ無料で聞けるという有難い(困った)サービスがあるから、どうしたって全部聞いてしまう。すると、目的の曲以外にも、1、2曲はいい曲がある。それだけ買えばいいかというと、アルバム単位で買わないとダウンロードできないボーナストラックまであり、悩んだあげく、結局はアルバムごとダウンロードしてしまうのだ。

わが身をもって実証したマーケティングの法則。コストの高さによって抑え付けられていた欲望は、コストが低くなったと感じれば堰を切る。仮に、結果的には以前と変わらぬコストがかかったとしても。

Monday, October 03, 2005

善く生きる・・・

前回の「親と子」で、[要は、親が子のためにできる最大のことは「自ら善く生きること」ということになる]と書いた。
では、「善く生きる」とはどういうことか、という問いが当然生じる。

結果で評価されるなら、まだ基準を示しやすい。所得とか、スポーツの記録とか、メディアに取り上げられた回数とか。
しかし、生きる姿勢の善し悪しを何によって評価、判断するのか。

倫理や道徳の意義はここにあるのだろう。

万人が認める倫理、道徳があるのか、といった議論はここではしないが、個人と集団という点で言えることがある。
個人にとって「善い」とされる生き方が結果による評価とは別の価値観に基づく場合でも、集団に属する個人が皆そのような生き方をすることはその集団に好ましい結果をもたらすことが多いだろう、ということだ。

例えば、正直であること。
個人にとっては正直であることが常に利得を増すとは限らない(罪悪感を持たずにすむというような主観的なことは別にして)。殺人の認否が自分の生死を分けることもある。しかし、嘘つきの構成員ばかりでは集団は存続できないから、集団は、「正直であること」を個人の生き方として高く評価するだろう。

例えば、他人のために犠牲を厭わないこと。
極端な例だが、電車のホームから転落した人を助けようとして命を落とした韓国人留学生がいた。利己主義的観点からは、命まで犠牲にしなくてもという見方もあるだろうが、賞賛の声が多かった。利他的行為は集団全体にとって望ましい結果をもたらすことが多いことと、関係が深いだろう。

国、民族レベルまでいかず、数代にわたる家系というような集団であっても、このことは言えそうだ。例えば、利得や賞賛を求めずただ勤勉であれ、というような家訓を守る家系があったとすると、数代の中には結果として大きな成功を収める者も現れる確率が高いと考えられる。

以上から、個人にとっての善い生き方の起源は全て集団にある、とまで総括するつもりはない。例えば、神に対する敬虔等、宗教的な善に関しては、起源を異にするものがあるようにも思われる。
しかし、善が、個と集団の関係と密接に関連する概念であることは間違いない。

(今さら言うまでもない当たり前のことを書いただけのような気がしてきたが、前回のままで終わらせてしまうのは何となく気持ちが落ち着かないので)

Sunday, October 02, 2005

親と子

親が子に示すべきものは、結局のところ、どのような姿勢で生きるか、ということにつきるのではないか。

親が意識しようがしまいが、子はそれを見て育ち、見習うにしろ反発するにしろその影響を強く受けるわけだから、「示す」というより、要は、親が子のためにできる最大のことは「自ら善く生きること」ということになるが。

ある生き方をしてその結果がどうだったか、功成り名遂げたか、ささやかなものだったか、あるいは失敗だったか、親の一生を振り返って子が思うことは、そういうことではない。生き方そのものが尊敬できるものであれば、子は親を立派な親だったと振り返ることができるのだ。

結果は、その時々の状況に左右される。運もある。成功の大小のみで生き方の評価はできない。人生経験を積んだ者にとってこれは当然の理だが、子が親の一生を振り返る際、結果はそもそも視野の周辺にしかない。中心にあるのは生き方そのものなのだ。

昨日、ある尊敬する方のご尊父の葬儀に参列し、故人の業績を称える弔辞と、生き方を振り返る喪主の挨拶を聞き、上のようなことを思った。

Thursday, September 22, 2005

ヨドバシ

昨日仕事ついでに、秋葉原に開店したヨドバシカメラを覗いてきた。
思っていた以上にワンフロアが広い。大型家電店一店分は優にある。当然、品目毎の品揃えもすごい。
それ以上に驚いたのは、家電以外の売り場。本、CD、さらにはメガネ、スーツまである。
そして8Fのレストランフロアが、なかなかに楽しめる店舗構成。秋葉原は食事の場所に難があったから、ここは人気を呼びそう。

今までの電気街の集客力が簡単に落ちるとは思わないが、少なくとも新しい人の流れが生まれることは間違いないのではないか。

Wednesday, September 21, 2005

選挙制度

少し前の話になるが、NHKが行った総選挙についてのアンケート結果では、「自民党の議席は多すぎた」と考えている人が過半数とのこと。
こうなることもあるのが小選挙区制ということで、かつてカナダでは与党が一気に2議席に減ってしまったことさえあるという記事もあちこちに出ていた。

有権者は、ある党に勝ってほしいと考えその党に投票することはできるが、どの程度勝ってほしいかという思いを示す手段がない。
ネット投票が可能になれば、自民に55点、民主に45点なんて投票も技術的には考えられるのだろうが。(これを集計した結果の意味というのも、よく検討しないといけないが)

理論的には、争点が全国共通の政策ただ一つの場合、民意を最もよく反映するのは比例選挙ということになるだろう。もちろん、全ての政党がその一点で争い、有権者もそのことを認識しているのが前提。
このような選挙において、地方選挙区の存在意義とは何なのだろうか。全国区一つで足りはしないか。
全国共通の政策といっても、地方によって判断が異なることはあり得るから、それを反映する、ということか。その場合、単位となる地方の大きさはどの程度に設定するのが適切なのか。

Saturday, September 17, 2005

ラジオ

昨日はラジオの当たり日だった。

朝のNHK第一「ビジネス展望」は寺島実郎氏がかなり政治的な発言をし、へえ、NHKでもこんなに言わせちゃうんだという面白さがあった。

NHKFM「ミュージックプラザ」の1曲目、シェーンベルクの「浄められた夜」が素晴らしかった。6重奏版で演奏はターリヒ四重奏団+2人。途中で職場駐車場に着いてしまったのだが、降りずに最後まで聞いた。
この曲を聞いたのはかなり久しぶり。こんなにもロマンティックだったとは。
使われたCDをネットで探したがなかなか見つからず、結局CDNOWで中古を予約した。

夜のNHK第一「いとしのオールディーズ」は、ゲスト秋山仁氏の話がよかった。生まれついての秀才とは違うことを自覚しつつ、好きな数学を続けたいというだけで、挫折を重ねながらここまで来たという、勇気づけられる話。(再放送)

Tuesday, September 13, 2005

選挙結果

衆院議員選挙についての感想を2,3。

・自民党を大勝させたのは、郵政民営化等の政策に対する評価以上に、すっきりとしない理由で首相に抵抗し続けた勢力を断固排除した政治スタイルに対する評価だろう。

・投票率は前回よりかなり上がったが、それでも有権者の約3分の2。今回のような選挙でも棄権する有権者とは、どのような生き方をし、何を考えている人々なのか、分析がほしい。

・小選挙区制は、得票率の差を大きく増幅させて議席数の差にする制度であるということは、頭では分かったつもりでいたが、ここまで強烈に結果が出るということには正直驚いた。重要な政策パッケージが概ね二つに収斂し、どちらかを選ばなくてはならないという時には有効だろう。一方で、パッケージが収斂していない時や、3つ以上の有力なパッケージがある時にはどうなのかという疑問はある。ゲーム論等の数理的な研究も含め、政治学における更なる研究がほしい。
 考えてみれば、評論家の誰だかが言っていたが、これの極端なのが大統領選挙なのだろう。得票数の比が50.1対49.9であっても、議席比は100対0になる。(アメリカの前回は、得票の少ない方が勝ってしまったが、これには別要因も含まれる)

Saturday, September 10, 2005

井上篤夫「志高く 孫正義正伝」

(GREEのレビューに書いたもの)

ある程度は割り引いて読むべきなのだろうが、それにしてもすごい男だ。
他のことを全て忘れるほど集中する。初めから最重要ポイントがどこかを把握し、一気に迫る。常人には絶望的に見える状況でも諦めず、可能な限りの手を打つ。
もしかしたら、本当にNTTに勝つのではないかという気さえしてくる。

バークレーから日本に帰ってきて1年数ヶ月、目立った行動は起こしていない。この間に何を考えたのか、興味のある所だ。

堀江貴文「100億稼ぐ超メール術」

(GREEのレビューに書いたもの)

かなり面白い。
日報をメールで書き、それを社員全員が読み、かつ、決算等のデータに結びつける。
今までなら会議でやっていたようなことを片っ端メーリングリストで行う。等。
自分の職場ですぐに真似することはほとんど不可能ではあるが、考え方は大いに参考になる。

岩崎峰子「祇園の課外授業」

(GREEのレビューに書いたもの)

舞妓がいかにして教養を身につけるか、よく分かる。置屋の養女となった著者は4歳で楽茶碗に触れ、舞は四世井上八千代に習い、という具合。
舞妓として呼ばれる席の客は、谷川徹三、吉田正、塚本幸一、等々。
祗園で遊ぶというのは、並大抵のことではないと知る。

Google Map

地球上のあらゆる場所を地図と衛星写真で見せようという大変なサイト。Google偉い!
縮尺は、地球全体を一面で見せるレベルから我が家が分かるレベルまで15段階ほど。
データは連続していて、ドラッグを続ければ世界一周できてしまう。

まだまだデータのない地域が多く、イタリアでさえ都市レベルの地図がないほどだが、それでも実に面白い。これで遊んでいると1時間位あっと言う間だ。

(今このサイトに関して評判になっているのは、今回のハリケーンの被害が分かること。通常の衛星写真以外に、カトリーナ後の衛星写真も載っており、ニューオーリンズ市内のハイウェイが水没している状況などがはっきり見える。地図と衛星写真の重ね合わせもできる。)

えっ・・・

絶句。GREE上で日記に付いていたコメントが消えてる・・・
bloggerでの更新を反映しようとして、管理?日記の設定?日記のURL「登録する」とやったのがいけなかったか・・・すぐ反映するにはこれしかなさそうで、やっちゃったんだけど。

okadaさん、貴重なコメントだったのに、ごめんなさい。

昨夜はI氏と

土浦で飲んだ。
SNSに対し懐疑的、と言っては言い過ぎかもしれないが、相当に慎重な姿勢であることが興味深かった。
確かに、たまたまネット上でちょっと関心を持った程度の相手に対し、十年来、二十年来の知己に対するのと同程度に自分を曝け出すようなことは危険だろう。
本当に慎重を期すなら、「友達」は実際によく知っている人物に限定し、かつ、日記の公開対象は「友達」に限定する、というようなやり方がいいのだろう。
しかし、これでは、直接の知己を超えてネットワークを広げることができなくなる。メンバー全員がルールを厳格に守るなら、「友達」の「友達」は信頼できる可能性が高いことになるから、その範囲の相手とメール等でやりとりを重ね、コミュニティのオフ会等で実際に会った上で、「友達」を増やすことはできるが。
GREEもmixiも、建前としてはそういう形でのネットワーク拡大のみを推奨しているようだが、現実はなんでもあり。
orkutのように、"best friend"から"haven't met"まで友達に区分を設ける方法もあるのかもしれない。(ただし、orkutでも、その区分は自分にとってのものであり、他人には見えないが。)

もう一つ面白かったのは、秋葉原を相当変なところと見ていること。同様の見方をしている知り合いは少なくなく、驚きはしなかったが、行政の公式の見方では出てこない。科学の街つくばと、電気の街(ものづくり産業の一つのメッカ)秋葉原がつながったことにより、創造のエネルギーが高まった、というのが一般的な見方だろう。これの結論部分は間違いないと思うが、前段は少し違い、異なる分野でそれぞれ突出した人々(おたく同士と言う人もいる)の出会いが増すことにより、ということなのだと思う。

つくばエクスプレスが結びつける街は、つくばと秋葉原だけでなく、間の守谷、柏、北千住、浅草等いずれも性格が大きく異なる。ここまで違うものを結び付けている鉄道も珍しい気がする。それだけに、新しいものが生まれてくる可能性は大きいような気がする。

つくばと守谷の間にこれからできて来る街も非常に楽しみ。今はほとんど何もないが、田舎と先端が共存する、独特のスタイルを持った街になり得ると思う。

Sunday, September 04, 2005

spam blogs

blogがスパムに荒らされている。
blogherald.com/2005/08/30/

blogに限らない。ipowerwebというところに置いているぼくのwiki fileも、久しぶりに見たらだいぶやられていた。今のところ、ページ名が日本語のものは無事だが。

Googleさん、何とかしてくれー。

先行投資の得失

中国では携帯電話が瞬く間に普及したという。工業団地の面積は平方キロ単位がざらだという。
いずれにも、後発のメリットが効いている。
公衆回線の電話がさほど普及していなかった分、ある程度の所得を得た消費者は携帯を買いやすかったし、企業も既存インフラ対策などに悩むことなく投資できた。
立地条件がよくても既存の工場などほとんどなかったから、巨大な工業団地の造成が可能だった。まあ、こちらは途方もなく広い国土、土地に対する私権の弱さという条件も大きいだろうが。

話はぐっと小さくなって自分のことだが、何年も前に4万円弱でスキャナを買った。当時としてはその価格では高機能のものだった。今だったら同機能が1万円台、同価格ならはるかに高機能だ。初めてPCを買った時、デジカメを買った時、PDAを買った時、いつも同じことをやっている。2年も立つとずっといいものが出ている。

少し待った人の方が得をした、という見方もできるのだろう。
ただ、半分悔しまぐれだが、そうではないと思いたい。かつて、もう少し待てばさらにいいPCが出るから、その時買うんだといつも言っていた同僚がいたが、何年もたって高性能のPCを買った頃には、彼はエクセルを覚えるのもやっとという歳になっていた。
先行することにより、スキルでは後発者をリードするし、先行している期間に色々なことを生み出せもする。途中何台も買い換えたって、元は取っている(筈だ)。

とはいえ、やはり、限られた資金しかない者にとって、先行投資することは、ある期間の後に別投資ができないというリスクを背負うことでもある。一個人から国家に至るまで、この得失判断は相当に難しそうだ。

Saturday, September 03, 2005

Google

Googleのすごさについては梅田望夫氏がForesigt誌によく書いているが、技術の分からないぼくでも、どうやら大変なことをやっているのでは、という感じは強くする。画像検索で、ファイル名にほしい物の名前が含まれていなくてもちゃんと見つけてくるなんてことは、今では当たり前になっているが、Googleでこれをやってくれた時にはびっくりしたものだ。

最近の動きでは、図書館の書物を片っ端からスキャンしてデータベース化するというプロジェクト。なるほどこれは便利だろうと思っていたが、著作権侵害だという批判があり、一時中止したとのこと。

著作権からの連想だが、特許情報などは全てGoogleに処理してもらった方が遥かに効率的かもしれない。類似の先行特許があるかどうかなど、一国でなく全世界を対象として瞬時に答が出そう。

いっそのこと、知的財産全般について、「Googleで調査し、内容の50%以上一致する先行データがない場合は、新規性を認める」とか決めちゃうといいかも。

記号化できるものであれば世界中の全てをデータベース化し、関連付けしようというのがグーグルの壮大な狙いなのだろう。大いに楽しみだが、若干の不安も。
例えばGmail。削除しなくてすみ、関連のメールをグループ化してくれるのも便利だからそのままGoogleのサーバに置いているが、このデータを元に何ができるか、疑い出せばきりがない。メール利用者の関係マップ作りなどはorkutで技術開発済み。メールの内容という禁断の領域に入って分析し、A氏に圧力をかけるにはその友人Bの友人Cの友人Dに対し、この材料で迫ればいい、なんて答を出したりして。

流刑地

日経に連載中の渡辺淳一「愛の流刑地」にはあきれ果てた。ここまで薄っぺらな小説はそうないのではないだろうか。
今までも、あまりにも二人の人物、人生が書けていないとは思っていた。これではなんのことはない、ポルノ小説じゃないかと。いや、読者の情欲を刺激するわけでもないから、ポルノですらないと。
現在は、冬香の求めに応じて首を絞め、結果的に殺してしまうという大変な局面になっているわけだが、ここに及んでも渡辺先生の筆勢(?)一向に変化しない。仮にも他人の妻で子供が3人いるというのに、その相手の人生に全く思いが至らないなんて、現実離れの極み、こんな小説意味があるんだろうか。自分の人生は一つしかないから、架空の世界で他の人生を少しばかり生きて見るのが小説を読む喜びであり、そのためには、その架空の世界に奥行きとか陰影とかが必要だと思うのだが。絵画同様、何も描かなければ奥行きなど出るわけがない。

先生は、夾雑物を削ぎ落とし純愛を描いているんだ、これこそ現実では経験できない生のありようだ、自分は人間本来の純粋な生き方を提示しているんだ、とおっしゃるんでしょうがね。

企業経営者等でこの小説を読んでる人は多いようだから、日経は大きな反響があると喜んでいるかもしれない。とんでもない。ちょっとした気分転換に使っているだけ。同じ時間を費やすならもっと深みのある小説の方がいいに決まっている。
城山三郎、隆慶一郎等々の見事な連載小説を生んだ日経文化欄の伝統はどうなったと言いたい。色々問題があったようで未完となってしまった前回の「新リア王」の方が、遥かに日経らしい立派な小説だった。

ついでだが、作家菊治が冬香への献呈文とした「Fへ捧ぐ」もおかしいのでは。「Fに捧ぐ」だろう。

blogの置き場所

ここ数日の顛末。
GREEがbloggerに置いたblogを反映することを知り、少しばかりGREEに書いたものをbloggerに移した。
しかし、bloggerの全てを読み込むわけではないこと、更新の反映に時間がかかるらしいことが分かり、GREEに戻した。その状態で何日分か書いた。
そこでまた考えてしまった。GREEは招待制・メンバーのみのSNSであり、当然日記を読めるのはメンバーのみ。公開のblogに書いていても読者など実はいないのだが、一応、誰でも読める状態に置いておいた方がいいのではないか。例えば、何か人に見せたいものを書いたとき、「ここに書いたから見ておいて」と言える。
というわけで、今朝再び、bloggerに移した。

その途端、別の問題もあることを知った。文字の大きさ、強調等のタグがbloggerとGREEで違うようで、反映されない。
仕方がないから、オリジナルはbloggerでご覧いただける、ということで我慢しよう。

Thursday, September 01, 2005

がっくり

バックアップなしのデータを壊してしまうなどというミスは、ここ数年なかったのだが・・・ やってしまった。

毎日これなしでは何もできないほど使っているiPAQ。日程とToDoは全てこれに入れてある。ずっと週に1回はPCとシンクロさせていたのだが、7月以降やっていなかった。iPAQのメモリを使ったバックアップに到っては3月にしたきり。

という状況下で、やってしまった。AH-K3001V(京ぽん)とつなぐため、SUNTACのiCardを使うようになってからどうも調子が悪く、このところリセットすることが増えていたのだが、今日はついに全く反応しなくなってしまった。電源もはいらず、リセットボタンも効かず。で、暑さで呆けたとしか言いようがないが、ロックを外してバッテリをスライド(この時点では何も気づいていない)。今度はリセットが効き、ああよかったと思ったのは束の間。立ち上がった画面の背景が違う!日付が2004年に戻っている!日程、ToDo何もなし!!

トホホ・・
まだ、何もする気になれずにおります。

Wednesday, August 31, 2005

TX

25日に続き、昨夕もつくばエクスプレスに乗った。研究学園駅で乗車、一日乗降自由券を使い、みらい平と北千住で降りて、戻った。
前回はTXに乗ること自体が目的と見える乗客が半分位だったが、昨日は仕事での利用が過半と見えた。下りでは守谷まで座れず(いいことだ)。

TXの下りで利根川を越えると環境ががらっと変わるとはよく言われること。実際、沿線は農地が広がっているし、駅周辺もみらい平以北は概ね空地だ。もともと自動車研究所の試験コースだった研究学園駅周辺などは、見渡す限り何もない。
これで宅地が売れるか1年ほど前には少し心配もしたが、開業が近づくに従いマンションやSC用地として大区画の契約が続いている。
街らしい要素が増えれば戸建も期待できそう。身びいきでなく、地価、環境、通勤時間(及び座れるかどうか)を総合的に考えれば、東京通勤1時間圏では最後の好物件だと思う。

Tuesday, August 30, 2005

情報発信力

「茨城は情報発信力が弱い」とよく言われる。
ここで早くも立ち止まってしまうのだが、これ自体、結構分析を要する命題だ。どんな情報の発信なのか。情報を発信するのは誰/何なのか、「茨城」が発信するというのは県庁がということだけではあるまい、地域が発信するということがあるのか。

結局、この命題の意味の一つは、「茨城という地域ブランドは、他の地域ブランドに比べて弱い」ということだろう。
例えば、「ニューヨークでダンスを学んだ」、「京都の料亭で修業した」と言えば、一応は、それはなかなかかも知れないと思われる可能性が高いだろう。これはニューヨークや京都の地域ブランドの高さを示すものだ。(ただし、地域ブランドには得意分野があり、京都でダンスを学んだ、ニューヨークの料亭で修業した、ではさほど感心されないだろう。)
茨城に関してこのようなことが言えるかとなると、首を傾げてしまう。地域ブランドが弱いというのは、そういうことだ。


(途中は後で書きます)


昨夜、一緒に飲んでいた同僚と意見が一致したのは、勝てるブランド、特に食べ物のブランドを育て、それを目当てにする人々に、他の茨城の優れたものを知ってもらうのが有効ではないか、ということ。
いくら優れたものであっても、知られていないものの情報を受け取ってもらうことは大変なことだ。CMに有名人を使うのも同じ理由だろう。
食という領域は、茨城に優れたものがあるということを認識してもらう上では、他の領域よりやりやすいだろうと思う。

奥久慈しゃもや常陸秋そばなら、質の点では専門家の折り紙つき。既にこれを使った都内の人気店もある。
奥久慈しゃもの焼き鳥をメインに、魚と野菜の料理も何点か揃え、茨城の地酒(あまり知られていないがいい銘柄がいくつもある)を飲んでもらう。そして仕上げは常陸秋そば。この料理屋(居酒屋?)は、立地とスタッフがよければ成功する。
そして、レジの脇あたりにさりげなく観光や住宅団地のパンフレットを置いておけば、手にとってもらえる可能性も高いのでは。

Monday, August 29, 2005

livedoor Wiki

GREE内をあちこち見ていて、遅ればせながら、livedoorがWikiを始めていることを知った。これはいい。
個人でwikiサイトを構築している人は多いが、共通関心事項についてみんなで作業をしようという場合には仲間集めが大変のはず。livedoorのような所なら簡単にできるだろう。

Sunday, August 28, 2005

技術的に解決

なんと、bloggerに書いた日記がそのままGREEに反映される!
技術とはたいしたものだ。

Saturday, August 27, 2005

GREE

YES!PROJECTに感心し、参加しようと思ったらGREEのアカウント所持が必要とのこと。メンバーの知り合いを思いつかず、ヨネコングさんに招待してもらった。

招待方式のSNSでは、orkutにはいっているが最近ご無沙汰。言葉の壁はどうしてもある。英語でも苦労するのに、半分以上ポルトガル語のわけだから。せっかく面白いことが書いてありそうなのに読めないのは歯がゆい。

その点、ここは言葉の問題はない。設計はよくできてるようだし、楽しいメンバーも多そう。
問題は、日記をどうするか。滅多に書かないが今はbloggerを使っている。分散させたくないし、移すのは面倒。

Saturday, May 28, 2005

ネットサイエンス・インタビュー・メール

新スポンサーの方針により、突然、配信停止だという。
「次号から産総研の何某氏」という予告まで出していた編集人の森山和道氏にとって、こんなに悔しいことはあるまい。
特に興味のあるテーマのときちょっと読む程度の読者ではあったが、これだけのメルマガはそうはないと断言できる。最先端の科学者が何を考えているのか、論文では恐らく何も理解できないだろうが、このメルマガでは、ぼくのような門外漢にも多少は分かった。編集人の知的蓄積、相手から言葉を引き出す力、並大抵のものではない。

有料メルマガとして復刊を期しているとのこと。
確かに、誰かが経済的に支えなければ続けられないのだから、企業スポンサーが外れれば、有料しかないのだろう。便益を得る読者がコストを負担するのは当然といえば当然だ。
予告されている購読料月315円は、情報の価値に比して非常に安いとは思う。しかし、タダだから読んでいた読者の多くはこれでも離れてしまうのではないか。貧乏学生や全く異分野の人など。そういう読者の中にも、このメルマガで刺激を得、自分がこれから進む分野や、一見全く別の領域での新たな発想を生み出したろう者はいたはず。

直接的利用者に全て負担させるのでは、将来生み出されたかもしれない社会的に有用なものを失う恐れがある。(だから大学教員等の給与は国家が相当程度負担するのだろう。)
広告付きメルマガとかウェブサイトというのは、なかなかうまい方法だと思うが、企業が厳密に費用と収益を計算すると割りに合わないことも多いだろう。
知的財産の生産・流通にかかる費用負担をどう社会の中で分担すべきか。簡単な問題ではない。

Monday, April 18, 2005

ETC

昨日取付け、今日初利用。
ゲートのバーがぱっと開くのは結構痛快。ただし、まだ、こわごわそろそろの通過だけれど。

Tuesday, April 05, 2005

「名張毒ぶどう酒事件」再審開始決定

これまで事件の存在すら知らなかったが、高裁の決定要旨を読むときわめて明快で、これは、冤罪の可能性きわめて大だろう。
それにしても死刑確定から33年、本人79歳である。あまりのことにため息もでない。

これをもって直ちに死刑廃止論に与するつもりはないが、死刑という判決は証拠等がよほど決定的な場合に限るべきであるとは思う。

cf.(2005.4.5の項)

Monday, April 04, 2005

"On Intelligence"

ジェフ・ホーキンス著 日本語訳「考える脳 考えるコンピューター」、ランダムハウス講談社

まだ半分も読んでいないが、これはすごい本。知的興奮はミンスキーの「心の社会」を読んだ時以来であり、今後の影響の予感はこれまでにないレベル。
脳科学をはじめとして、人間の精神活動に関するあらゆる科学が大きな影響を受けるに違いない。

学術書仕立てでなく一般書のスタイルになっており読みやすい。また、比喩の使い方が実に見事。

Friday, April 01, 2005

trav'lin' light (2)

音楽がどのように聞こえるかは、聞き手側の気持ちのありようによって全く違う。

ふだんは、深い悲しみが基底に流れながらも微かな甘酸っぱささえ感じるビリーのこの曲が、これまでで最も悲しい歌に聞こえることさえあるのだ。
スウィングという名の一見明るいヴェールの部分など全くないもののように、包まれていた筈の悲しみのみがこちらに到達し、押し殺していたはずの感情を共振させ、増幅させる。

(歌い手がエラだったら、こうはならないとは思う。)

Thursday, March 24, 2005

朝食の店

仕事や飲み会で遅くなり、ビジネスホテルに泊まることがある。
困るのは翌朝の食事。
職場に早く出る癖がついているので、7時前に食べたいのだが、なかなか店がない。
マクドナルドでは味気ないし、デニーズでは落ち着かない。吉野家は近くにない。
結局、コンビニおにぎりか、スターバックスでサンドイッチとコーヒーのことが多い。
今朝もスタバ。サンドイッチの替わりに、勧められたクロワッサンにしたが成人男子にはカロリー不足。
最近できたエクセルシオール・カフェのクロワッサン・サンドの方がずっといいが、残念なことに開店が7時。

Friday, March 11, 2005

trav'lin' light

このところ毎日、ビリー・ホリデイの"trav'lin' light"を聞いている。1942年6月12日に録音したPaul Whiteman Orchestraとのもの。ストリングスが入るのはLady in Satinぐらいかと思っていたが、この時期既にやっていた。
ホルン(息子の説。まさかとも思うが、確かにミュート付トランペットでもない感じ)をフィーチャーした長めの前奏(sweet!)の後、ようやくわがディーヴァが登場するのだが、最初の"I"から、たまらない。「ア」が耳に届いた時点で、もう痺れてしまう。
どの程度の強さで出るか、声の柔らかさ・硬さはどの辺にするか、次の音へどう変化させていくか等々、歌手は、伴奏とのバランスも意識しながら最適の声を一瞬のうちに選んでいるのだろう。考えて決めるというのではない、全身全感覚を動員した調整。演奏というのはそのような調整の連続なのだろう。
だから、出だしの声を聞けば、その歌手の力量は相当程度評価できると思う。
この"trav'lin' light"、ぼくにとっては出だしの声ベスト10にはいる。

それにしても原題の"trav'lin' light"、一体どう日本語に訳したらいいのだろう。「彼が私の心を持って去ってしまったから、軽くなって旅をしている」という歌詞なのだけれど・・


"TRAV'LIN' LIGHT" Johnny mercer / jimmy mundy

I'm trav'lin' light
Because my man has gone
So from now on
I'm trav'lin' light
He said goodbye
And took my heart away
So from today
I'm trav'lin' light

No one to see
I'm free as the breese
No one but me
And my menories
Some lucky night
He may come back again
So untill then
I'm trav'lin' light

No one to see
I'm free as the breese
No one but me
And my menories
Some lucky night
He may come back again
So untill then
I'm trav'lin' light

Monday, February 14, 2005

英単語学習法

MILAというソフトをたまたま見つけ、iPAQに入れてみた。「重要熟語200語」を試しているが、なかなかいい。あいまいな部分を再度テストしてくるタイミングがよくプログラムされている。音声を聞いてのテストもできて、最新PDAの有難さを実感。
http://home.airbitway.com/ipaq_mila/

Thursday, February 10, 2005

Matt Dennis

先日、たまたまCD売り場で見つけ、そう言えばずっと以前に岩浪洋三だったか油井正一だったかがほめていたが、ちゃんと聞いたことはないなと思って買った。
Matt Dennisの"Plays and Sings"
こんないい曲、いい演奏をずっと聞かないできたとは。
ジャケットにある「小粋」という言葉がぴったりだ。"Compared to you"辺りのやや軽さのあるバラードがMattの声質には一番合っているように思う。"Angel Eyes"のような立派な曲になってくると、他の歌手でも聞きたくなる。"Everything happens to me"は、しっとりとしたメロディーにコミカルな味を加え、3分で一つのドラマを聞かせる傑作。

昨夜久々にSFに寄り、ここでもMatt Dennisをリクエストしたら、20年ぶりのリクエストだとママに喜ばれた。マスターに、「力が抜けてこないとこういう曲のよさは分かりませんよね」と言われ、ほめられた気分。

Sunday, January 23, 2005

「志高く 孫正義正伝」

ある程度は割り引いて読むべきなのだろうが、それにしてもすごい男だ。
他のことを全て忘れるほど集中する。初めから最重要ポイントがどこかを把握し、一気に迫る。常人には絶望的に見える状況でも諦めず、可能な限りの手を打つ。
もしかしたら、本当にNTTに勝つのではないかという気さえしてくる。

バークレーから日本に帰ってきて1年数ヶ月、目立った行動は起こしていない。この間に何を考えたのか、興味のある所だ。
 
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