勘三郎の俊寛を見た。
最後の場面は、表現の巧みさといったこととは次元の違う、何か大変な所まで行っていた。
憎しみも悲嘆も絶望も、すーっと消えた、いやそうではなく、ふーっと昇華した、とでも表現するしかない境地。
そこに至る長い苦難の時間や直前の激しいやりとりを考えれば、およそ人間である限りそのような境地に達することはあり得ないようなものなのだが、そんな思いが浮かぶことすらなかった。ふーっと達した勘三郎/俊寛を、こちらはただ、ああ、と見つめるだけだった。
「何かが下りてきたよう」と言っていた人がいるが、そうなのかもしれない。追善公演で父親の当たり役に立ち向かう気迫が、何かを引き寄せたか。
Friday, February 12, 2010
Monday, February 08, 2010
プリウス問題
冷泉彰彦氏のレポートを読んで、プリウスのブレーキ問題の技術的な意味が初めて良く分かった。トヨタが、欠陥ではないとしてなかなかリコールに踏み切らなかった理由も。
[JMM569Sa]「プリウスを守り、改めてハイブリッド時代の再スタートへ」from911/USAレポート (今週末にはWEBに載ると思うが、今のところはメルマガ読者しか読めない。転載不可なのが残念)
回生ブレーキという、HVならではの高度な技術が用いられているのだが、これは従来のブレーキとはだいぶ様相の違った物なので、運転する側もその違いを十分に認識し、今までとは異なる運転の仕方を身につけなければならない、とのこと。トヨタは、その違いについて、運転者に対し分かりやすく説明する努力を怠ってきた、とも。
危険な物を作ってしまいごめんなさい、すぐ直しますから、という対応ではなく、この機会を活かし、HVの高度な技術について理解を深めてもらうべきだというのが冷泉氏の意見だ。
[JMM569Sa]「プリウスを守り、改めてハイブリッド時代の再スタートへ」from911/USAレポート (今週末にはWEBに載ると思うが、今のところはメルマガ読者しか読めない。転載不可なのが残念)
回生ブレーキという、HVならではの高度な技術が用いられているのだが、これは従来のブレーキとはだいぶ様相の違った物なので、運転する側もその違いを十分に認識し、今までとは異なる運転の仕方を身につけなければならない、とのこと。トヨタは、その違いについて、運転者に対し分かりやすく説明する努力を怠ってきた、とも。
危険な物を作ってしまいごめんなさい、すぐ直しますから、という対応ではなく、この機会を活かし、HVの高度な技術について理解を深めてもらうべきだというのが冷泉氏の意見だ。
"He's funny that way"
iPodにビリー・ホリデイの"He's funny that way"を入れてある。3枚のレコード作成のために録音された各2回のテイクで計6演奏。ビッグバンドでスウィングが2スタイル、ピアノトリオでバラード風が1スタイルと、レコードごとにスタイルが違うのだが、その違いがびっくりするほど。そしてまた、その3スタイルの中でのテイク毎の差の面白さ。だからジャズはやめられない。このところ、朝から通勤の車の中で聴いて一人でにやしやしている。
Once he dressed in tweads and drapes
On the rolls royce car
Now he seems quite out of place
Like a fallen star
While I worry
Plan and sceme
Over what to do
Can't help feeling
It's a dream
He's just too good to be true
I'm not much to look at
I'm nothing to see
I'm glad I'm living on a dime
And lucky to be
[ Find more Lyrics on http://mp3lyrics.org/cOM ]
But I've got a man crazy for me
He's funny that way
I ain't got a dollar
Can't save a cent
He doesn't hollar
He'd live in a tent
I've got that man mad about me
He's funny that way
Lord he loves work and slave
For me every day
He'd be so much better off
If I went away
But why should I leave him
Why should I go
He'd be un happy
Without me I know
I've got that man crazy for me
He's funny that way
( http://www.mp3lyrics.org/b/billie-holiday/hes-funny-that-way/ )
Once he dressed in tweads and drapes
On the rolls royce car
Now he seems quite out of place
Like a fallen star
While I worry
Plan and sceme
Over what to do
Can't help feeling
It's a dream
He's just too good to be true
I'm not much to look at
I'm nothing to see
I'm glad I'm living on a dime
And lucky to be
[ Find more Lyrics on http://mp3lyrics.org/cOM ]
But I've got a man crazy for me
He's funny that way
I ain't got a dollar
Can't save a cent
He doesn't hollar
He'd live in a tent
I've got that man mad about me
He's funny that way
Lord he loves work and slave
For me every day
He'd be so much better off
If I went away
But why should I leave him
Why should I go
He'd be un happy
Without me I know
I've got that man crazy for me
He's funny that way
( http://www.mp3lyrics.org/b/billie-holiday/hes-funny-that-way/ )
Wednesday, February 03, 2010
自己
「自己」という言葉は、物質的には何を指しているのか。
もっと日常的な言葉で、「自分の体」でもいい。
実は私は、自分の体全体を自分の目で直接見たことなどないのだ。相当に体の柔らかい人でも自分の背中の中心を見ることは困難だし、まして頭頂部などヨガの行者でも見ることはできない。
自分で見ていない物であるにも関わらず、我々は「自分の体」と言っているわけだ。
さらに言えば、自分の内臓を自分の目で直接見ることは困難だし、体細胞の中の核やらミトコンドリアやらは顕微鏡を通して間接的に見ることしかできない。
全体を見たことのない物に名前をつけること自体はごく普通のことではある。地球も太平洋も富士山もそうだし、目の前の机でさえ全体を一度に見ることはできない。
ただ、いまだかつて見たことのない部分だらけである自分の体を「自分の体」と呼ぶことには、目の前の机を「机」と呼ぶこと以上の意味があるのではないか。(「意味」という言葉が最適かは吟味を要す)
少し横道にそれるが。
脳には、自分の全身の視覚情報は届いていない。自分の全細胞からの情報も、恐らく届いていない。生きていくためには、細胞一つ一つの状態についての情報の全てを脳が直接受け取る必要はない。ある範囲の細胞の状態によって変化する、例えば化学物質に関する情報等が脳に入ってくれば、脳は全身のコントロールをすることができる。
実は、私の背中は昨日より5ミリ膨らんでいるかもしれない。その視覚的情報は脳には届かない。しかし、脳は、背中の異常を知らせる情報が何らかのセンサーから入って来なければ、別に5ミリ膨らもうと気にしないのだ。自己に「異常」が起きているとは思わないのだ。
(もちろん、脳について「気にする」とか「思う」とかの述語を用いるのは擬人的にすぎるだろう。代わりに、「特別な反応をする」という類の述語を用いた方が誤解は避けられるかもしれない。)
もっと日常的な言葉で、「自分の体」でもいい。
実は私は、自分の体全体を自分の目で直接見たことなどないのだ。相当に体の柔らかい人でも自分の背中の中心を見ることは困難だし、まして頭頂部などヨガの行者でも見ることはできない。
自分で見ていない物であるにも関わらず、我々は「自分の体」と言っているわけだ。
さらに言えば、自分の内臓を自分の目で直接見ることは困難だし、体細胞の中の核やらミトコンドリアやらは顕微鏡を通して間接的に見ることしかできない。
全体を見たことのない物に名前をつけること自体はごく普通のことではある。地球も太平洋も富士山もそうだし、目の前の机でさえ全体を一度に見ることはできない。
ただ、いまだかつて見たことのない部分だらけである自分の体を「自分の体」と呼ぶことには、目の前の机を「机」と呼ぶこと以上の意味があるのではないか。(「意味」という言葉が最適かは吟味を要す)
少し横道にそれるが。
脳には、自分の全身の視覚情報は届いていない。自分の全細胞からの情報も、恐らく届いていない。生きていくためには、細胞一つ一つの状態についての情報の全てを脳が直接受け取る必要はない。ある範囲の細胞の状態によって変化する、例えば化学物質に関する情報等が脳に入ってくれば、脳は全身のコントロールをすることができる。
実は、私の背中は昨日より5ミリ膨らんでいるかもしれない。その視覚的情報は脳には届かない。しかし、脳は、背中の異常を知らせる情報が何らかのセンサーから入って来なければ、別に5ミリ膨らもうと気にしないのだ。自己に「異常」が起きているとは思わないのだ。
(もちろん、脳について「気にする」とか「思う」とかの述語を用いるのは擬人的にすぎるだろう。代わりに、「特別な反応をする」という類の述語を用いた方が誤解は避けられるかもしれない。)
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