新谷弘実「病気にならない生き方」が説く牛乳有害説には、乳業関係各方面から猛反発があるだろうなと、実は結構期待していたのだが、新聞雑誌等では目にしたことがなく、不思議に思っていた。webに一つあった。日本酪農乳業協会のHPが、畜産化学専攻の北大名誉教授仁木良哉氏の反論を載せている。
新谷氏の論旨展開は、科学的にきちんと証明するというスタイルではないから、科学者の立場できちんと議論してもらえるのは、大歓迎。仁木氏の主張が新谷氏の主張を完全に論駁しているかどうかまだ疑問は残るが、牛乳のタンパク質の分子構造を根拠にした議論にはかなり頷ける。(新谷氏は高温殺菌よりも均質化を問題にしていたように思うがそれについては触れられていないのが残念)
(科学的議論ではないが、いとうこういち氏が書いているここもエキサイトしていて面白い。)
一方で、ぼく自身、新谷氏の本を読んでから、牛乳は飲まない、替わりに小魚をたくさん食べる、チーズもほとんど食べない、水を大量に飲む、という食生活に切り替えてしばらくたつが、体調は好調だ。少なくともどこも悪くなっていない。(肉を減らし、酒を減らせば、たぶんもっと良くなるのだろうという予感はするがやめられない。)
結局のところ、人間の体は非常によくできていて、あまり極端に偏しない限り摂取した食物から必要な栄養素はちゃんと吸収しているということかも。
一般に、食品に関して何を摂るべきだという主張は、拝聴はされても実際には厳格に守られていないような気がする。大雑把に好きなものを食べていても結構元気を保ってる人が多いからだろう。
一方で、何を摂ってはいけないという主張には、過敏に反応するような気がする。危ない、という言葉に我々は神経質だ。
いとうこういち氏は、新谷氏はこの心理を利用して危機感を煽り、同時にエンザイムを増やすなんとやらを売りまくって金儲けをしている、と見るわけだ。
そうでないと言うだけの根拠をぼくは持っていない。そうなのかも知れないとも思う。
ただ、新谷氏の本を読んで、現在の牛乳や乳製品があまりに人工の手を加えすぎた食品であるという印象は強まった。そこになんとなく不安を覚え、同じカルシウムを摂るなら人工過程の少ない小魚の方がいいかもと思い、科学的根拠は不十分と思いつつ牛乳をやめている。(タンパク質や他のミネラルは、牛乳以外の食品から十分に摂取している。) 同様の人も多いのではないか。
新谷説に対し、牛乳は有害ではない(肉も、油脂も同様)と科学者が反駁するのは、簡単なことなのかもしれない。それでも、人工の手が加わりすぎた食品に対する漠然とした不安感はなかなか拭えないように思う。そこに、「人間以外の動物で大人になって乳を飲むものなどいません」という新谷氏の分かりやすい言葉が入り込む余地がある。科学的にはあるいは全くの妄説かもしれないが、結果的には聞くべきことを持っている可能性もあるのではないか。
科学者側には、馬鹿馬鹿しくて論ずるに値しないなどと考えずに、きちんと新谷説を論駁してほしいし、新谷氏側には、科学の土俵に乗ってその論駁をきちんと受けとめ、ここは間違っていたがやはりこういう危険がある、といった主張をしてほしいものだ。
Saturday, October 14, 2006
Friday, October 13, 2006
呆れた発明
赤ちゃんが夜鳴きをすると母親が子供を抱くようなリズムで自動的に揺れて寝かしつけるベッドを、ある会社が開発したという(NHK朝のニュース)。親の負担を軽減し、家族の団欒の時間などを確保できるようにするのだという触れ込み。
なんということか。
唯一の意思表現である泣くという行為に応えてくれるのが機械では、一体子供の母親に対する愛情がちゃんと育つだろうかという懸念を、この会社の人々は少しも持たなかったのだろうか。
どんなに疲れ果てていても眠くても明日の仕事が心配でも、自分を頼らなければ生きていけない小さなわが子の要求にだけは応える、それが親の愛情だと、考えなかったのだろうか。そうやって苦労しながら育てたからこそ成長を心から喜べるという経験を、この人たちは誰もしていないのだろうか。
洗濯や食器洗いを機械にさせることと、母親が赤ちゃんを抱くことを同列に考える精神構造が信じられない。
子供が小さい頃、逃げ出して別室で寝ていたぼくには、本当は発言資格はないのかもしれない。しかし、毎晩毎晩わが子を抱いてなんとか寝かしつけた我が家の二世代の女性も、このベッドには大いに憤慨していた。
なんということか。
唯一の意思表現である泣くという行為に応えてくれるのが機械では、一体子供の母親に対する愛情がちゃんと育つだろうかという懸念を、この会社の人々は少しも持たなかったのだろうか。
どんなに疲れ果てていても眠くても明日の仕事が心配でも、自分を頼らなければ生きていけない小さなわが子の要求にだけは応える、それが親の愛情だと、考えなかったのだろうか。そうやって苦労しながら育てたからこそ成長を心から喜べるという経験を、この人たちは誰もしていないのだろうか。
洗濯や食器洗いを機械にさせることと、母親が赤ちゃんを抱くことを同列に考える精神構造が信じられない。
子供が小さい頃、逃げ出して別室で寝ていたぼくには、本当は発言資格はないのかもしれない。しかし、毎晩毎晩わが子を抱いてなんとか寝かしつけた我が家の二世代の女性も、このベッドには大いに憤慨していた。
Subscribe to:
Posts (Atom)
