もう一度よく見て考えてみようと思う。
Tuesday, July 24, 2012
アラブ・エクスプレス展@森美術館
先週、東京出張の帰りに訪れた。持ち時間は約一時間、ちょうどいいだろうと思ったのだが、大間違いだった。ビデオを用いた作品が多いこともあり、何点かじっくり見たらそれで時間切れ。会期は長いのでまた行こうと思う。 アラブは我々の住む所とは異質な世界、そういう先入観があった。そこから、アラブの現代アートも何か異質なものに違いないと、勝手に思い込んでいた。しかし、少なくとも後者の思い込みは、本展を見ることで大きく修正された。アーティストのものの見方、それを作品に現わす方法は、日本や欧米、あるいは中国の現代アーティストと基本的に変わらないのだ。視点を変える、比較する、補助線を引く等により、日常見慣れた物の中に新しい意味を見出そうとすることなどだ。これは大きな発見だった。アラブ理解の上で重要なことだとも思う。 一方で、彼らがそこで生きている環境、置かれている状況は、やはり我々のものとは大きく異なる。例えば、会場に入ってすぐ目に入る大画面のビデオでは、街中で一人の女性アーティストが何十人という男たちに囲まれ、パフォーマンスを止めろ、自分たちの文化に対する侮辱だと攻撃され続ける(これに対するアーティストの反論はヨーロッパのアーティストでも同じことを言うだろうと思われるもの)。例えば、ある地域の上をセスナで真っ直ぐに飛び眼下を撮り続けたビデオでは、およそ日本では考えられないような光景−砂漠、廃墟、かつての道路らしきもの、かつての川らしきもの、砂漠の中にあってそこだけ人が密集している市場等−が延々と続く。例えば、ベイルートの絵葉書では、街の至る所で建造物が爆破され、銃弾を撃ち込まれている。・・・ ここで再び翻って、かくも異なる環境、状況のもとで、なぜアーティストの視点に共通のものがあるのだろうか。普遍のものだから?外来のもの?あるいは、実は共通に見えるのは見かけだけ?
もう一度よく見て考えてみようと思う。
もう一度よく見て考えてみようと思う。
Friday, July 06, 2012
平成24年7月5日「水戸市名誉市民・吉田秀和水戸芸術館館長お別れ会」
開会直前の到着だったため、ACM劇場の方で参列した。
吉田さんの本はごく一部しか読んでいないが、大好きだった。日曜朝(当時)のFM番組も時折聞く程度だったが、その都度、心の中で最敬礼していた。一つの曲、一つの演奏が、なぜこのように作られ、奏でられたのかを、ここまで広い視点で捉え、深く掘り下げるのか、と。それでいて、衒学臭は全くなく、吉田さんの音楽に対する愛情を感じて、こちらも嬉しくなってしまうのだった。
教養人という言葉は吉田さんのような人のためにあるものだと思ってきた。
献花の順番を待つ間、劇場のスクリーンに映された、芸術館開館式典における吉田さんの館長挨拶を聴いた。冒頭に「開館を宣言します」との言葉があったが、これはまさに「芸術館宣言」だった。各部門について、なぜ中原さんの現代美術なのか、鈴木さんの演劇なのか、そして自分が監督するクラシック音楽なのかを明快に語った。市民のものであることと世界に開かれた場であることを必ず両立させなければならないと力を込めた。最後は、「これが芸術館のphilosophyです、Theseです」と締めくくった。まさに「芸術館哲学」だった。「ぼくがいる間はこれを曲げない」と、穏やかだが、強烈に決意を表明した。この哲学を曲げないことがいかに困難な道であるかを知り抜いているがゆえの強さだと感じた。
そして吉田さんは、この時の決意表明通りに館長の仕事をやり抜き、我々に大きな財産を残してくれた。引き続き我々が立ち向かわなければならない困難と共に。
お別れ会の最後は、吉田さんの長女、真佐子さんの謝辞だった。その中で、事務局長の名前が出た時には胸が熱くなった。大津君、どんなにか大変だと思いますが、頑張って下さい。応援します。
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