Sunday, March 30, 2008

文楽

先月、初めて文楽を見た。綱大夫、勘緑、「冥途の飛脚」。今までにない類の感銘を受け、ブログに書こうと思ったのだが、どう書いていいのか分からないまま時間がたってしまった。

昨日、家人が見ているテレビを覗いたら、「文楽入門」。住大夫、錦糸、玉男、文雀、簑助ほかという豪華メンバーによる「伊賀越道中双六・沼津の段」のところどころを見せながら、住大夫が話をしている。
しまった、こんないい番組があったのかと思いつつ見ていて、一つ気づいた。
人形が小さく見える。国立劇場の公演を一緒に見た家人も同意見。

テレビであれ舞台であれ、顔が見えている主遣いと人形は一緒に目に入っているわけだが、テレビの場合、その大きさの差をどうやら客観的にそのまま見ている。
一方、舞台では、主遣いは見えてはいるのだが意識の中でずっと背景に引いており、人形が意識の大半を占めている。
そうとしか思えない、人形の大きさ感の違いだった。
舞台では、人形遣い、大夫、三味線の技の総体に、意識がまるごと引き込まれていたということなのだろう。

「冥途の飛脚」の道行相合かごの場面、立ち上がった伊兵衛はぼくには等身大の存在だった。人形は人形として見えているのだが、しかし、それは、心を持った人形なのだった。

http://www.ntj.jac.go.jp/performance/1711.html

Sunday, March 16, 2008

問題

梅田望夫氏が、フォーサイト3月号で紹介しているまつもとゆきひろ氏の言葉に、そうか、そういうことだったんだと思った。
「ほとんどの人は、適切な大きさと複雑さを持ったいい問題を探しているんですよ」
梅田氏が、リナックスのようなオープンソースプロジェクトに集まる人々の動機を問うたのに対するまつもと氏の答である。
まつもと氏はさらに言っている。
「新聞にクロスワードパズルが載っているでしょう。あれですよ。見つけると解きたくなる人がいる」

ぼく自身がそうだ。何かを書きたいという気持ちがあっても、何を書くか、テーマが見つからない。でも、手頃なテーマを与えられると書ける。問題が与えられると解決しようという意欲が沸き、解決すると達成したという喜びがある。

ヒトが他の生物との生存競争に勝てるようになったのは、反射的行動だけではなく、意図的行動ができるようになったからだと本で読んだ。サルも意図的行動をするが、ヒトはそのやり方に磨きをかけた。
適当な意図を持つと意欲が沸くように、われわれの遺伝子はプログラムされるに至ったのだろう。

「適切な大きさと複雑さを持ったいい問題」を提示すること、これは誰にでも与えられた能力ではないらしい。
だから、独創的な研究者や、ベンチャー企業を大企業にまで成長させる経営者は、そうはいないのだろう。
 
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