このところ、GREEにはほとんどログインせず、mixiばかり使っている。
仕事関係はGREEと思っていたのだが、なかなかうまくいかない。同世代の同業者があまりメンバーにいないらしいことが恐らく一番の要因。
一方で、mixiでは参加コミュニティが随分増えた。音楽、美術、食べ物、飲み物、旅行等で面白そうなものが色々ある。趣味の世界は世代関係なしと勝手に決めて、たまに書き込むとちゃんと反応がある。正直、嬉しい。
11月初めに上海に行くのだが、これも、上海関係のコミュニティで、ある若い中国人が書いたものを読んで意思を固めた。現在、何人かと情報交換中。これまでの海外旅行とは随分違った展開になりそうで楽しみだ。
Sunday, October 23, 2005
Tuesday, October 18, 2005
新谷弘実「病気にならない生き方」
(GREEのレビューに書いたもの)
説得力のある本である。健康法の本は数多あるが、説得力という点で出色だと思う。
疑問に思う点がないわけではない。そもそもの根幹にあるミラクル・エンザイム(酵素の元になっているもの)の存在を始め、著者自身仮説と断っている命題が多数ある。今まで死亡診断書を書いたことがないという主張についても、著者の方法の妥当性を強化するものだとは、私は思わない。
が、にもかかわらず、説得力がある。なぜなのだろう。
例えば、牛乳は飲まない方がいいという私には衝撃的な主張がなされる。理由としては、均質化する際に酸化が進んでいる、そもそもどんな動物でも母乳を飲むのは乳児だけ、牛の乳のラクトースはヒトには消化困難であるから、と。
あるいは、油は減らした方がいいという。理由は、植物から油を採る時、今は絞るのではなく溶剤で溶かしてそれから溶剤を飛ばすという化学的方法を用いているから。
あるいは、肉は食物全体の8分の1でいいという。理由は、人間の歯のうち、犬歯は全体の8分の1、これが摂取すべき食べ物の割合を示しているから。等々。
データや式の類はほとんどない。日常の論理と、中学・高校で学んだ生物・化学の知識だけが拠り所の私のような者にとって、実に分かりやすい説明なのだ。
科学者からの反論は数多くあるだろうと思う。牛乳業界、マーガリン業界、食肉業界も黙ってはいないだろう。
どちらが正しいのか、論争は大いにやってほしい。
でも、決着が着くまで待てない私は、牛乳をやめ、肉を減らし野菜を増やし、1日1500cc以上のミネラルウォーターを飲み始めた。(酒も少し減らした)
説得力のある本である。健康法の本は数多あるが、説得力という点で出色だと思う。
疑問に思う点がないわけではない。そもそもの根幹にあるミラクル・エンザイム(酵素の元になっているもの)の存在を始め、著者自身仮説と断っている命題が多数ある。今まで死亡診断書を書いたことがないという主張についても、著者の方法の妥当性を強化するものだとは、私は思わない。
が、にもかかわらず、説得力がある。なぜなのだろう。
例えば、牛乳は飲まない方がいいという私には衝撃的な主張がなされる。理由としては、均質化する際に酸化が進んでいる、そもそもどんな動物でも母乳を飲むのは乳児だけ、牛の乳のラクトースはヒトには消化困難であるから、と。
あるいは、油は減らした方がいいという。理由は、植物から油を採る時、今は絞るのではなく溶剤で溶かしてそれから溶剤を飛ばすという化学的方法を用いているから。
あるいは、肉は食物全体の8分の1でいいという。理由は、人間の歯のうち、犬歯は全体の8分の1、これが摂取すべき食べ物の割合を示しているから。等々。
データや式の類はほとんどない。日常の論理と、中学・高校で学んだ生物・化学の知識だけが拠り所の私のような者にとって、実に分かりやすい説明なのだ。
科学者からの反論は数多くあるだろうと思う。牛乳業界、マーガリン業界、食肉業界も黙ってはいないだろう。
どちらが正しいのか、論争は大いにやってほしい。
でも、決着が着くまで待てない私は、牛乳をやめ、肉を減らし野菜を増やし、1日1500cc以上のミネラルウォーターを飲み始めた。(酒も少し減らした)
Monday, October 17, 2005
iTunes
iPodはまだ持っていないが、iTunesの利用を始めてしまった。
(「しまった」という背景には、大変なことにはまってしまった、いやはや、という思いがもちろんある。)
もともと、気に入った曲を色々な歌、演奏で聴きくらべるのが好きで、例えば、20人が歌う"Yesterdays"とか、"Song is you"の演奏10通り、などというCDを自分用に作ってみたいと思っていた。そのために、大きなCDショップでジャズ・ヴォーカルの棚を片っ端見、"Yesterdays"1曲が入っていれば他の曲は何であれ買う、なんてこともかつてはした(ほんの数枚だが)。
今でこそ、Amazonなどで曲名検索をすれば、それが入っているCDがある程度見つかるから、だいぶ楽にはなったが、コストがかかるのは変わらない。1曲のために2500円!
それが、iTunesでは1曲単位で買えるのだから、検索結果を見てついにやにやしてしまう。
しかし。Appleの罠は巧緻であった。1曲買いするつもりでいても、なかなかそうは卸してくれない。検索結果には、アルバム名も当然出る。元々嫌いなわけじゃないのだから、つい、そのアルバムの内容を見る。各曲30秒だけ無料で聞けるという有難い(困った)サービスがあるから、どうしたって全部聞いてしまう。すると、目的の曲以外にも、1、2曲はいい曲がある。それだけ買えばいいかというと、アルバム単位で買わないとダウンロードできないボーナストラックまであり、悩んだあげく、結局はアルバムごとダウンロードしてしまうのだ。
わが身をもって実証したマーケティングの法則。コストの高さによって抑え付けられていた欲望は、コストが低くなったと感じれば堰を切る。仮に、結果的には以前と変わらぬコストがかかったとしても。
(「しまった」という背景には、大変なことにはまってしまった、いやはや、という思いがもちろんある。)
もともと、気に入った曲を色々な歌、演奏で聴きくらべるのが好きで、例えば、20人が歌う"Yesterdays"とか、"Song is you"の演奏10通り、などというCDを自分用に作ってみたいと思っていた。そのために、大きなCDショップでジャズ・ヴォーカルの棚を片っ端見、"Yesterdays"1曲が入っていれば他の曲は何であれ買う、なんてこともかつてはした(ほんの数枚だが)。
今でこそ、Amazonなどで曲名検索をすれば、それが入っているCDがある程度見つかるから、だいぶ楽にはなったが、コストがかかるのは変わらない。1曲のために2500円!
それが、iTunesでは1曲単位で買えるのだから、検索結果を見てついにやにやしてしまう。
しかし。Appleの罠は巧緻であった。1曲買いするつもりでいても、なかなかそうは卸してくれない。検索結果には、アルバム名も当然出る。元々嫌いなわけじゃないのだから、つい、そのアルバムの内容を見る。各曲30秒だけ無料で聞けるという有難い(困った)サービスがあるから、どうしたって全部聞いてしまう。すると、目的の曲以外にも、1、2曲はいい曲がある。それだけ買えばいいかというと、アルバム単位で買わないとダウンロードできないボーナストラックまであり、悩んだあげく、結局はアルバムごとダウンロードしてしまうのだ。
わが身をもって実証したマーケティングの法則。コストの高さによって抑え付けられていた欲望は、コストが低くなったと感じれば堰を切る。仮に、結果的には以前と変わらぬコストがかかったとしても。
Monday, October 03, 2005
善く生きる・・・
前回の「親と子」で、[要は、親が子のためにできる最大のことは「自ら善く生きること」ということになる]と書いた。
では、「善く生きる」とはどういうことか、という問いが当然生じる。
結果で評価されるなら、まだ基準を示しやすい。所得とか、スポーツの記録とか、メディアに取り上げられた回数とか。
しかし、生きる姿勢の善し悪しを何によって評価、判断するのか。
倫理や道徳の意義はここにあるのだろう。
万人が認める倫理、道徳があるのか、といった議論はここではしないが、個人と集団という点で言えることがある。
個人にとって「善い」とされる生き方が結果による評価とは別の価値観に基づく場合でも、集団に属する個人が皆そのような生き方をすることはその集団に好ましい結果をもたらすことが多いだろう、ということだ。
例えば、正直であること。
個人にとっては正直であることが常に利得を増すとは限らない(罪悪感を持たずにすむというような主観的なことは別にして)。殺人の認否が自分の生死を分けることもある。しかし、嘘つきの構成員ばかりでは集団は存続できないから、集団は、「正直であること」を個人の生き方として高く評価するだろう。
例えば、他人のために犠牲を厭わないこと。
極端な例だが、電車のホームから転落した人を助けようとして命を落とした韓国人留学生がいた。利己主義的観点からは、命まで犠牲にしなくてもという見方もあるだろうが、賞賛の声が多かった。利他的行為は集団全体にとって望ましい結果をもたらすことが多いことと、関係が深いだろう。
国、民族レベルまでいかず、数代にわたる家系というような集団であっても、このことは言えそうだ。例えば、利得や賞賛を求めずただ勤勉であれ、というような家訓を守る家系があったとすると、数代の中には結果として大きな成功を収める者も現れる確率が高いと考えられる。
以上から、個人にとっての善い生き方の起源は全て集団にある、とまで総括するつもりはない。例えば、神に対する敬虔等、宗教的な善に関しては、起源を異にするものがあるようにも思われる。
しかし、善が、個と集団の関係と密接に関連する概念であることは間違いない。
(今さら言うまでもない当たり前のことを書いただけのような気がしてきたが、前回のままで終わらせてしまうのは何となく気持ちが落ち着かないので)
では、「善く生きる」とはどういうことか、という問いが当然生じる。
結果で評価されるなら、まだ基準を示しやすい。所得とか、スポーツの記録とか、メディアに取り上げられた回数とか。
しかし、生きる姿勢の善し悪しを何によって評価、判断するのか。
倫理や道徳の意義はここにあるのだろう。
万人が認める倫理、道徳があるのか、といった議論はここではしないが、個人と集団という点で言えることがある。
個人にとって「善い」とされる生き方が結果による評価とは別の価値観に基づく場合でも、集団に属する個人が皆そのような生き方をすることはその集団に好ましい結果をもたらすことが多いだろう、ということだ。
例えば、正直であること。
個人にとっては正直であることが常に利得を増すとは限らない(罪悪感を持たずにすむというような主観的なことは別にして)。殺人の認否が自分の生死を分けることもある。しかし、嘘つきの構成員ばかりでは集団は存続できないから、集団は、「正直であること」を個人の生き方として高く評価するだろう。
例えば、他人のために犠牲を厭わないこと。
極端な例だが、電車のホームから転落した人を助けようとして命を落とした韓国人留学生がいた。利己主義的観点からは、命まで犠牲にしなくてもという見方もあるだろうが、賞賛の声が多かった。利他的行為は集団全体にとって望ましい結果をもたらすことが多いことと、関係が深いだろう。
国、民族レベルまでいかず、数代にわたる家系というような集団であっても、このことは言えそうだ。例えば、利得や賞賛を求めずただ勤勉であれ、というような家訓を守る家系があったとすると、数代の中には結果として大きな成功を収める者も現れる確率が高いと考えられる。
以上から、個人にとっての善い生き方の起源は全て集団にある、とまで総括するつもりはない。例えば、神に対する敬虔等、宗教的な善に関しては、起源を異にするものがあるようにも思われる。
しかし、善が、個と集団の関係と密接に関連する概念であることは間違いない。
(今さら言うまでもない当たり前のことを書いただけのような気がしてきたが、前回のままで終わらせてしまうのは何となく気持ちが落ち着かないので)
Sunday, October 02, 2005
親と子
親が子に示すべきものは、結局のところ、どのような姿勢で生きるか、ということにつきるのではないか。
親が意識しようがしまいが、子はそれを見て育ち、見習うにしろ反発するにしろその影響を強く受けるわけだから、「示す」というより、要は、親が子のためにできる最大のことは「自ら善く生きること」ということになるが。
ある生き方をしてその結果がどうだったか、功成り名遂げたか、ささやかなものだったか、あるいは失敗だったか、親の一生を振り返って子が思うことは、そういうことではない。生き方そのものが尊敬できるものであれば、子は親を立派な親だったと振り返ることができるのだ。
結果は、その時々の状況に左右される。運もある。成功の大小のみで生き方の評価はできない。人生経験を積んだ者にとってこれは当然の理だが、子が親の一生を振り返る際、結果はそもそも視野の周辺にしかない。中心にあるのは生き方そのものなのだ。
昨日、ある尊敬する方のご尊父の葬儀に参列し、故人の業績を称える弔辞と、生き方を振り返る喪主の挨拶を聞き、上のようなことを思った。
親が意識しようがしまいが、子はそれを見て育ち、見習うにしろ反発するにしろその影響を強く受けるわけだから、「示す」というより、要は、親が子のためにできる最大のことは「自ら善く生きること」ということになるが。
ある生き方をしてその結果がどうだったか、功成り名遂げたか、ささやかなものだったか、あるいは失敗だったか、親の一生を振り返って子が思うことは、そういうことではない。生き方そのものが尊敬できるものであれば、子は親を立派な親だったと振り返ることができるのだ。
結果は、その時々の状況に左右される。運もある。成功の大小のみで生き方の評価はできない。人生経験を積んだ者にとってこれは当然の理だが、子が親の一生を振り返る際、結果はそもそも視野の周辺にしかない。中心にあるのは生き方そのものなのだ。
昨日、ある尊敬する方のご尊父の葬儀に参列し、故人の業績を称える弔辞と、生き方を振り返る喪主の挨拶を聞き、上のようなことを思った。
Subscribe to:
Posts (Atom)
