Saturday, October 06, 2012

iPhone 5, Black, 64GB

やっぱり我慢できないので、自慢しちゃいます。ちょうどジョブズの命日でもありますし。

iPhone5、何が素晴らしいかって、美しいのです。

形、色は言うまでもありませんが、持った時の重量感も、掌や指に触れる質感も、美しいとしか言い様がない。これは、実際に手にした者にだけ感じられる美です。(まだ手にできていない人、ごめんなさい。<--- これを言う快感は堪らないなあ。)

形に関して言えば、ジョブズがこだわり続けた四隅のR、正面・背面と側面が直交するラインの面取り。iPhone5にもしっかり引き継がれているわけですが、この素晴らしさは、手にとってみるとよく分かります。気持ちが良い。ずっと持っていて飽きない。ずっと持っていたくなる。それは、厚みや重量感とも当然不可分でしょう。きっと、視力の非常に弱い人が持っても、とても気持ちのよい物体だろうと思います。

色は、ガラスで覆われた正面の深い黒、裏面の艶消しされた黒、どちらも美しい。そこだけ艶が残されたりんごマークとiPhoneのロゴ、この主張の仕方がまた美しい。これらの美しさを際立たせるための神経の使い方にも、ジョブズの執念はきちんと生きている。

今まで世の中にあったもので比べらるとすれば、例えば黒楽茶碗でしょうか。お茶を飲まない時でもずっと掌で包んでいたい。工業製品で挙げるなら、一部の万年筆やナイフ。文字を書かない時でも、何かを切らない時でも、ただ握っているだけで嬉しくなる。気持ちが落ち着く。

スイッチを切ったまま10分でも20分でも持っていたい道具。もしかすると、大昔のご先祖が黒曜石の矢じりを握った時にも、このような感覚があったのではないか、そんなことも思わせるiPhone5です。

 

Sunday, September 02, 2012

「具体」-ニッポンの前衛 18年の軌跡 (国立新美術館)

自分が生まれた頃、日本の美術界ではこんなに熱い動きが起こっていた。

吉原、白髪、元永などの作品は多少見ていたが、グループ全体の活動をこれだけまとまって見るのはもちろん初めて。その後のインスタレーションやパフォーマンスに繋がるものを含め、彼らは考えられるあらゆることを試みていたのだ。その熱にとにかく打たれる。

パフォーマンスなどは画質の劣化した映像記録しかないから、今もほぼ制作時と同じものを見られるのは絵画だけになるが、その絵画が圧倒的。綱にぶら下がって足で描いたり、絵の具の入ったガラス瓶をぶつけたりと、偶然に委ねる要素を取り入れつつ、生み出そうとしているイメージが明確な故だろう、できあがった作品は美しく、そして、勢いがある。ジャクソン・ポロック、濱田庄司を思った。

後半はだいぶ様相が変わる。目録では、これを衰退期として切り離すべきではないと論じており、確かにここでの連続と非連続は美術史的に非常に興味深いと思うが、ベクトルの向きが大きく変わったことは紛れもない。今も変わらぬ価値を持ち続けているのは前半の作品群であると自分は思うが、何ゆえにこれが続かなかったのか、新しいベクトルを求めざるを得なかったのか。前衛の困難性というものがあるのだろう。ここでもポロック、そしてフリー・ジャズを想起する。

http://www.nact.jp/exhibition_special/2012/gutai/index.html

Friday, August 17, 2012

村上“ポンタ”秀一Presents THE TRIO @B2, Mito 2012.8.14

村上が、「このトリオでは皆さんが持っている山下さんのイメージとは違う繊細なところを聞かせたい」と言っていたが、確かにそういうセッションだった。

かつては肘打ちまで繰り出した格闘技のような山下の即興も、今は一つの洗練された様式となっており、それは美しいものの少し寂しいなとちらっと感じもしたのだが、そうではなかった。その様式を背景として、山下はさりげなく、歌うのだ。どこか武満徹を思わせるような、喜びと悲しみが溶け合った歌を。

村上の緻密に音色がコントロールされた端正なドラミミングと、坂井の熟達のベースが、山下のピアノと見事にマッチしていた。時折見せる三人の笑顔がまた良かった。

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村上“ポンタ”秀一 -Syuichi“PONTA”Murakami-(Dr)
山下洋輔 -Yousuke Yamashita-(P)
坂井紅介 -Benisuke Sakai-(Ba)

Sunday, August 05, 2012

Toru Noguchi さんの写真をご覧ください

Toru Noguchi さんからのメッセージ:
Ishinomaki, July 30, 2012
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https://picasaweb.google.com/lh/photo/HQPrgrsEdcfC5OEGlAlmatMTjNZETYmyPJy0liipFm0?feat=email
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Tuesday, July 24, 2012

アラブ・エクスプレス展@森美術館

先週、東京出張の帰りに訪れた。持ち時間は約一時間、ちょうどいいだろうと思ったのだが、大間違いだった。ビデオを用いた作品が多いこともあり、何点かじっくり見たらそれで時間切れ。会期は長いのでまた行こうと思う。

アラブは我々の住む所とは異質な世界、そういう先入観があった。そこから、アラブの現代アートも何か異質なものに違いないと、勝手に思い込んでいた。しかし、少なくとも後者の思い込みは、本展を見ることで大きく修正された。アーティストのものの見方、それを作品に現わす方法は、日本や欧米、あるいは中国の現代アーティストと基本的に変わらないのだ。視点を変える、比較する、補助線を引く等により、日常見慣れた物の中に新しい意味を見出そうとすることなどだ。これは大きな発見だった。アラブ理解の上で重要なことだとも思う。

一方で、彼らがそこで生きている環境、置かれている状況は、やはり我々のものとは大きく異なる。例えば、会場に入ってすぐ目に入る大画面のビデオでは、街中で一人の女性アーティストが何十人という男たちに囲まれ、パフォーマンスを止めろ、自分たちの文化に対する侮辱だと攻撃され続ける(これに対するアーティストの反論はヨーロッパのアーティストでも同じことを言うだろうと思われるもの)。例えば、ある地域の上をセスナで真っ直ぐに飛び眼下を撮り続けたビデオでは、およそ日本では考えられないような光景−砂漠、廃墟、かつての道路らしきもの、かつての川らしきもの、砂漠の中にあってそこだけ人が密集している市場等−が延々と続く。例えば、ベイルートの絵葉書では、街の至る所で建造物が爆破され、銃弾を撃ち込まれている。・・・

ここで再び翻って、かくも異なる環境、状況のもとで、なぜアーティストの視点に共通のものがあるのだろうか。普遍のものだから?外来のもの?あるいは、実は共通に見えるのは見かけだけ?
もう一度よく見て考えてみようと思う。

Friday, July 06, 2012

平成24年7月5日「水戸市名誉市民・吉田秀和水戸芸術館館長お別れ会」

開会直前の到着だったため、ACM劇場の方で参列した。

吉田さんの本はごく一部しか読んでいないが、大好きだった。日曜朝(当時)のFM番組も時折聞く程度だったが、その都度、心の中で最敬礼していた。一つの曲、一つの演奏が、なぜこのように作られ、奏でられたのかを、ここまで広い視点で捉え、深く掘り下げるのか、と。それでいて、衒学臭は全くなく、吉田さんの音楽に対する愛情を感じて、こちらも嬉しくなってしまうのだった。

教養人という言葉は吉田さんのような人のためにあるものだと思ってきた。

献花の順番を待つ間、劇場のスクリーンに映された、芸術館開館式典における吉田さんの館長挨拶を聴いた。冒頭に「開館を宣言します」との言葉があったが、これはまさに「芸術館宣言」だった。各部門について、なぜ中原さんの現代美術なのか、鈴木さんの演劇なのか、そして自分が監督するクラシック音楽なのかを明快に語った。市民のものであることと世界に開かれた場であることを必ず両立させなければならないと力を込めた。最後は、「これが芸術館のphilosophyです、Theseです」と締めくくった。まさに「芸術館哲学」だった。「ぼくがいる間はこれを曲げない」と、穏やかだが、強烈に決意を表明した。この哲学を曲げないことがいかに困難な道であるかを知り抜いているがゆえの強さだと感じた。

そして吉田さんは、この時の決意表明通りに館長の仕事をやり抜き、我々に大きな財産を残してくれた。引き続き我々が立ち向かわなければならない困難と共に。

お別れ会の最後は、吉田さんの長女、真佐子さんの謝辞だった。その中で、事務局長の名前が出た時には胸が熱くなった。大津君、どんなにか大変だと思いますが、頑張って下さい。応援します。

http://arttowermito.or.jp/other/other.html?id=278

Sunday, June 17, 2012

ストラスブール美術館展@茨城県近代美術館

誰でも知っているような作品こそないが、近代から現代へのヨーロッパ美術の流れが概観でき、良かった。多くの画家が新しい表現に挑んでいたのだと知った。

一点選ぶなら、このゴーギャン。

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現代は面白いものが色々。これは、エド・パシュキ。

http://blogs.yahoo.co.jp/ikefum0812/GALLERY/show_image_v2.html?id=http%3A%2F%2Fimg5.blogs.yahoo.co.jp%2Fybi%2F1%2F8f%2F87%2Fikefum0812%2Ffolder%2F479567%2Fimg_479567_30604077_5%3F1337603918

劇場法、文楽、橋下市長

スウェーデン放送合唱団@水戸芸術館

プログラムの前に、モーツァルトのアヴェ・ヴェルム・コルプス(K.618)を吉田館長と畑中顧問に献唱。この合唱団の招聘を決めながら先月続けて逝去されたお二人、どんなにかここで聴きたかっただろう。

どのパートの声もとにかく安定している。当然正確。そして、ペーター・ダイクストラの指揮にぴったり応えてダイナミック。33人の鍛えられた声が調和するとかくも美しい。

またも武満徹に参った。「さくら」の最後は幻想に誘う。奥の壁一杯に広がる桜を思った。「島へ」では、涙が出てしまった。どうもこのところ涙腺が武満に特異的に反応する。

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Sunday, June 10, 2012

茨城県陶芸美術館

特別展「REVALUE NIPPON PROJECT 中田英寿、現代工芸と出会う−陶と和紙」。今日が最終日。なんとか一時間前に駆け込んだ。
中田氏の選んだテーマは和紙。堀木エリ子の漉いた特大の和紙に森山大道や蜷川実花などの写真をプリントした作品、藤森洋一の和紙を栗林隆が内部の見える歪んだ球形にしたもの(南條史生さんのキュレーション)、等々、皆とても面白かったし、和紙の可能性も感じた。隈さんの展示が終わっていたのはとても残念。
震災のため中断された昨年展の作品も再展示。奈良美智は相変わらず。以前見た彼単独の陶器の方が強烈だったかな。新里明士と宮島達男さんのコラボレーション作品(藤原ヒロシ
キュレーション)は欲しくなった。デジタルの数字であることがすぐには分からなかったのは当方の目のせい?
その後、「国際交流基金コレクション
日本陶芸、世界を巡る」を光速鑑賞。どうも自分には陶のオブジェの面白さがまだ良く分からないようで、伝統の部に集中。濱田庄司の一点には存在感という言葉を使いたくなった(

に器形は近い)。島岡達三もいつ見ても素晴らしい。その他、樂吉左衛門等々、見とれた作家多数。
閉館まで10分弱あったので、最後に常設展の波山コーナーへ。葆光彩の花瓶を前にした途端に、涙が出そうになった。自分はフリークに近い現代アート好きだと思うが、陶芸の究極は波山です。

Tuesday, May 15, 2012

等伯

日本経済新聞連載の「等伯」が昨日で終わった。
見事な小説だった。

安部龍太郎さんは、等伯の生涯を書くことにより、「松林図」、人の手によって描かれたことが奇跡とさえ思えるあの松林図が何故に描かれ得たのかという根源的な問いに対し、一つの解を示してくれたのだと思う。
講演で聞いた安部さんの話では、等伯に関する資料は少なく、特に京都に出るまでのものはほとんど無いとのことである。当然、想像力を駆使して、僅かな断片的事実をもとに全体を組み立てることになるわけだが、安部さんは深い洞察に基づく創造として、その仕事を成し遂げた。歴史・芸術小説の粋がここにあると思う。


人が人を殺すこと、自分の肉親が他人に殺されるばかりではなく、時には自分が人を殺さざるを得ない状況に巻き込まれることさえ稀有とは言えなかった時代。
等伯が生きたのはそういう時代なのだ。等伯は、信長や秀吉に命を脅かされ一方で彼らのために描き、命を捨ててでも信念を曲げなかった利休や高僧の教えを受け、自らの命を賭して狩野派と争い子を失った。
そういうことの全てがあって初めて、あの「松林図」は描かれ得た。殺戮の世において殺戮者の求めに応じ描く、応えきれなければ命を失うと覚悟して描く。そういう状況で、等伯はついに自らの生死を離れた境地に達し、誰のためでもなくただひたすらに心が捉えた浄土として霧の中の松林を描いた。
それでこそ、松林図は、殺戮者自身をも救う絵となり得た。
安部さんのこの仮説を、私も信じる。

Saturday, May 05, 2012

秘宝感@PIT INN (120504 昼の部)

フリージャズにコミカルな味付けをしたハチャメチャなグループ。愉快、痛快、爽快!

斉藤 良(Ds)とスガダイロー(P)は自在なプレイで気持ちが良い。纐纈雅代(As)もなかなか大したものだった。

https://picasaweb.google.com/lh/photo/Yg6VgsSn7dUvXBK2HE2qvtMTjNZETYmyPJy0lii...

ジャクソン・ポロック展@国立近代美術館

日経の小説を読んだすぐ後に、ポロックを見た。等伯に通じるとさえ思った。

ただただ憑かれたように、塗料を大キャンバスに流し込む(英語ではpour)。偶然的な要素はないと本人の言う通り、その動きは完全にコントロールされている。ただ、コントロールしているのは、通常の意識と無意識の間のようなものなのかとも思う。何か、自分の中に見える(感じる?)ものを、ひたすら写しているようにも思える。阿部龍太郎が書いた等伯のように。

「インディアンレッドの地の壁画」は、人類が到達した頂点の一つなのではないか。等伯の「松林図」がそうであるように。

本展の解説で初めて知ったが、ポロックの絶頂期はわずか1年。その後、苦悩の晩年を送り、44歳で飲酒運転による事故死。ジャズの絶頂期にも重なる。チャーリー・パーカーが死んだのはポロックの前年、1955年だ。

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秘宝感@PIT INN (120504 昼の部)

フリージャズにコミカルな味付けをしたハチャメチャなグループ。愉快、痛快、爽快!

斉藤 良(Ds)とスガダイロー(P)は自在なプレイで気持ちが良い。纐纈雅代(As)もなかなか大したものだった。

https://picasaweb.google.com/104731131954026222149/Public#5738850970513360594

Tuesday, May 01, 2012

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輝ける五月の緑貫きて北関道を我出勤す

Sunday, April 29, 2012

杉本博司「ハダカから被服へ」@原美術館

展覧会を山にたとえるなら、シャネル、バレンシアガ、サンローラン等々の服をマネキンに着せ、モノクロで撮影した写真群が、この展覧会の頂上部と言えるだろう。スペースも相当部分を占める。一点一点じっくり見た。ファッション史に名を残す人々は、なんとも個性が際立っている、突き抜けている。しかし、それだけではないと思える。彼らは、単に美しくかつ人目を惹く服をデザインしようなどという次元ではなく、ハダカの祖先が毛皮を纏って以来の歴史に新しい衣服の意味を付け加えようとした人たちなのだ。例えば、三宅一生のプリーツに、鮮明にそれを感じた。三宅、山本、川久保は、そういう文脈で、欧州の巨匠と並ぶ高峰となったのだろう。

三宅のプリーツ一枚だけでも、写真家としての杉本の凄さが分かるが、杉本は写真家の枠に収まる人ではない。しかも、アーティスト杉本博司はとても親切で、頂上以外の到る所に見どころを用意してくれている(あの垣根の面白さ!)。それらを辿ることによって、頂上だけでは十分には分からない、杉本の意図がさらに見えてくる。

私には、杉本文楽「曽根崎心中」で用いられたという文楽人形が、本展で最も印象的だった。エルメスのスカーフをお初の着物に使う発想は、レンブラントのエッチングを掛け軸にするのと同様、杉本の真骨頂。なるほどこういう情念にはこの模様かと思う。杉本文楽、再演されたら今度こそ見たいものだ。

本展の目録は「秘すれば花」。秘すれども、秘するがゆえに、本質が現れる。

美術館を訪れたのは、東京では桜も見納めという頃。庭が花弁に薄く覆われ、この日限りの装いだった。

http://www.haramuseum.or.jp/jp/common/pressrelease/pdf/hara/jp_hara_pr_Sugimo...

Saturday, April 28, 2012

小川芋銭展@茨城県近代美術館

独特の絵であることは分かる。こういう山の描き方はあまり見たことがないなと思う。水が見事に描けているとも思う。離れて見ると驚くほど。

でも、大観が絶賛したのは何故なのか、本質的なところはまだ分からない。

慣れ親しんだ風景から、日常はあまり意識していない美をぐっと掴みとり、ぽんと置いてくれる、それだけなら感嘆の声で終わるところを、芋銭は、さらに一筆加えて、敢えてありふれた日常に引き戻すのだ。

このような境地は、自分にはまだ遠いところのもののように思えた。

Saturday, April 21, 2012

Sunday, April 15, 2012

雨引山

雨引観音の近くでは、昨日の雨にもなんとか耐えた桜をまだ見ることができた。

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Saturday, April 14, 2012

HIROSHI SUGIMOTO, Five Elements @Gallery Koyanagi

地水火空風の五大をモチーフにした硝子製五重塔と、海景の写真による展覧会。

と書いて間違いではないのだが、実はそれぞれ別のものと思っていたため、危うく大変な見落としをするところだった。壁の海景写真が硝子の中に映り込むのを見るだけでも十分に満ち足りて。

出る前に作品リストを見ると、「海景五重塔 ○○海」が8作品。海が一つ一つ異なる。それで初めて気づいた。五重塔の中に海景がある!五大の「水」の中に。

ある方向から五重塔に向き合うと海景が見え、他の方向から見ると周りの事物が映り込んでいる。五大は、世界の中にあって世界を内に含み、しかもそこには世界の原初の姿である空と海さえも包み込んでいるのだった。

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雨の土曜は

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LEAN.

 

名崎の桜/2012.4.13

周辺の大きな変化の中で、この土地の歴史を伝えるものとして残されることになった桜。

ちょうど良い位置にあってよかった。

一週間前が満開だったそうですが、花見の宴は来年の楽しみに。

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SUGIMOTO

これまでインストールした中で最高のiPadアプリ(というより、書籍、写真集だが)。

劇場に痺れる。

海景に震える。

http://itunes.apple.com/us/app/sugimoto-1988/id504791452?mt=8

Friday, March 02, 2012

USA TODAY: Innovative Lytro camera lets you shoot first, focus later

Innovative Lytro camera lets you shoot first, focus later
http://usat.ly/zyvlSZ

<--- toru.n@iPad

Sunday, January 29, 2012

名刺管理

最近になって始めた方法。本で読んだ「名刺の写真を全てevernoteにアップ」のアレンジだが、なかなか良いと思う。

Android携帯で名刺の写真を撮る。自動的にGoogle+とPicasaにアップロードされるので(実は時々そうでもない。その時は手動)、Picasaの写真に説明を付ける。これは後で検索にかかればよいので、会社名と氏名程度。必要に応じ、会社名も氏名も忘れても辿り着けるようにタグを付けておく。

初めて電話をかける、あるいはメールを出す必要が生じた時は、Picasaで検索した名刺写真を見ながら行う。その際、携帯ないしGmailに電話番号ないしメールアドレスの記録が残るので、それを元にgoogle contactを作成する。以上。

名刺を貰った人の中で、その後連絡をする人は一部。その一部のために、全ての名刺について詳細なアドレス帳を作成するのはCPが悪い。一方で、連絡する可能性のある人を予め絞り込むのは難しく、念のため全ての名刺をとっておくと、今度はいざという時必要な名刺を見つけ出すのが大変。

上に書いた方法なら、全てデータはとっておくが見つけ出すのは容易である。一方、実際に連絡をとった人についてはアドレス帳を作るので、二度目以降の連絡はスピードがアップする。

 

Tuesday, January 03, 2012

Sunday, January 01, 2012

4,986日

今日から70歳の誕生日までの日数を計算したら5,000日を切っていた。 え、それしかないのかと初め思ったが、10,000日あってものんびりするだけだから、かえっていいと思うことにする。 5,000日の間にできること、いくらでもあるな。
 
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