Monday, October 13, 2008

Panoramio

Google mapに自分の撮った写真を貼り付けるということ、なんということもないと言えばなんということもないのだが、結構はまる。
有名な所には見事な写真がいろいろあって、自分が追加する価値がそんなにあるとは思わないが、でもそういうところだったら、見てもらえる確率は高いかもしれないという期待も若干ある。
一方で、わが近所のちょっとした事物など、世界中で知ってる人はほとんどいないわけだから、どう、なかなか面白いでしょうと言いたい気分になる。ただしこちらは、見てもらえる確率は極小だろう。
掛け算してしまうと、期待値はいずれも大したことはないのだが、こういう時は掛け算せずに都合のいい方だけで動く心理が働くのかもしれない。

分析の当否はともかく、色々面白いものを載せたくなるのは確かだ。昨日近くで撮った数枚だけを貼り付けるつもりが、2年前まで遡って20枚程もアップしていた。(Panoramio
(審査に時間がかかるようで、地図にはまだ出ていない)

Tuesday, September 30, 2008

中山大臣発言に対する伊東乾氏の見方

中山前国交相の発言については、なんて馬鹿なことを言ったんだろう、もしかすると痴呆化が始まっているんじゃないだろうかとさえ思った。
ところが、伊東乾氏は全然違う見方をしていた。(NBonline
初めは失言だったかもしれないが、途中から確信犯的に言い始めたのはなぜか。狙いがあるからだ、というのだ。自分の選挙のことを考えているだろうし、もしかすると自民党にとっての利益もねらったのかもしれないと。中山氏は党のことを考えたわけではないとしても、自民党にとって中山発言は必ずしもマイナスばかりではないと伊東氏は見る。

他人の意見の紹介だけというのも、blogとしては中身のないこと甚だしいが、非常に面白かったので。
それにしても、この伊東氏のプロフィールには驚く。なんと多彩な活動分野であることか。

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そうか、コメントなしで紹介するだけなら、Bloggerのリンク機能を使えばいいんだ。早速、追加。

Sunday, September 21, 2008

野依博士の言葉

野依理科学研究所理事長が今月、日経に履歴書を書いている。実に簡潔明瞭。博士の論文もこのようなのだろうと想像する。

9月18日掲載分」から。
「科学研究では、本質的な問題に対する明快な解答が高く評価される。しかし、良い問題の発見こそが創造の根源である。個人の資質に依存するが、人の思考力には限界がある。異質の考え方と技術の集積、掛け算こそが新たな力を生む。さらに綿密な計画遂行の間にも、予期せぬことが起きる確実性に妙味がある。」

「本質的な問題」、「良い問題」を徹底的に重視する姿勢は、履歴書全体の基調になっている。裏返せば、多くの研究、研究者に対する厳しい批判でもあろう。
また、異質のものの掛け算に対する期待は、博士が現在力を入れている学際間の連携や産学連携の基本精神だろう。

9月20日掲載分から。
「科学の進歩の鍵は独創的研究であるが、その可能性の評価は難しい。見かけの公平性の担保のために無責任な多数決民主主義を適用することは賢明でない。欧米で流行し、皆が良いと判断する課題は既に後追いだ。」

自らは学界でほとんど相手にされなかったテーマの研究を進め画期的な成果をあげた博士だからこその言葉。見かけの公平性うんぬんのところは、実際の経験を伴う批判であることが、今日の分を読むと分かる。博士が進めさせようとした最近の研究に対し、役所は実に冷たかったらしい。

科学研究に莫大な費用がかかるようになるとともに、研究戦略が一国の盛衰を左右しかねないのが現代。研究テーマの選定に行政が関与せざるを得ないが、そこは見かけの公平性を第一原理とする所だから、この問題の解決は本質的困難を抱えている。
結局、よくは分からないがこの先生の言うことに賭けよう、というやり方が一番なのだろうと思う。多くの専門家に対しフィードバック方式のアンケートを繰り返す方式もよく試みられたが、多数意見のプレッシャーを感じて少数の突出した意見の角が丸まっていきがちだ。
「この先生」の選択が重要だが、これまた難しい。年齢にかかわらず先見の明を持ち続ける大家もいるだろうが、権威はあるものの実は先端的な動きの価値が分からなくなっている人も少なくないだろう。

例えば、ニュートリノ研究と、脳科学研究のどちらも重点的に進めたいが、予算は数百億円で分配してはどちらも成果が出ない、一方に重点配分するしかない、という状況があったとする。ニュートリノ陣営の総帥は当然ノーベル賞の小柴博士、脳科学陣営のキャプテンは理研の甘利博士だとする。どちらが50年後の日本のためになるかなんて、文部科学省の役人にはとても判断できない。こういう状況下で、小柴博士に賭けるか、甘利博士に賭けるか。
本来こういう場合は、両分野のトップだけではなく、メタ分野(科学哲学とか、技術史とか、産業技術論とか)の大家が出てこなくてはならないのだが、どうもメタ分野の大家より、個別分野の大家の方が今の日本では権威者と評価されているように思える。

「この先生」選択の優れた方法を開発することと、メタ分野の研究をもっと進展させ大権威を生み出すことが、今の社会には必要だ。

Saturday, August 23, 2008

DIALOG IN THE DARK

真っ暗な部屋の中を、視覚障害者のサポートを受けながら、グループで歩くワークショップに参加した。
http://www.dialogue-in-the-dark.com/
ドイツで始められたもの。日本でも何か所かで行われるようだが、私は、学士会館で体験した。

初めに盲人が実際に使っている杖を渡され、持ち方、動かし方を習う。これだけが頼りなのかという緊張感を少し覚える。
暗幕をあけ、部屋に入ると本当の闇。全く何も見えない。サポーターの明るい声がはっきり聞こえなかったら、すくんでしまってほとんど動けないだろう。こちらへという声に促され、ほんの少しずつ足を前に出す。杖をやたらに動かすと、近くにいる参加者の杖にぶつかる。ごめんなさいというお互いの声が、少し緊張を和らげる。
何に触ったとか、足元がどうなっているとかを声に出して言いなさい、しゃがみこんで床を触ってもいいけれど、その時は誰それしゃがみますと言いなさい、そうしないと近くの人が知らずにぶつかって転ぶから、等と開始前に教えられたことを、みんな忠実に実行。みんなの声が近くに聞こえることが、何よりの安心であることをしみじみと感じる。

数分も立つと、結構慣れてくる。音の来る方向、距離が実によく分かることに驚いた。近くであれば声だけを頼りにサポーターの所まで行けるし、他の参加者がどの辺にいるかも分かる。鳥の声は、右後ろこの方向のあの辺で高さはあそこあたりとか。
床に敷き詰められている葉や藁などの匂いも強く感じる。

慣れるに従って課題も少しずつ難しくなり、丸木橋を渡ったり、つり橋を渡ったり、ブランコに乗ったり。橋はどう考えても1.5m位しかないのだが、靴に触れる面が湾曲しているだけで不安は増すし、わずかであろうつり橋の揺れも怖いほど。
最後は、真っ暗なカフェで椅子を探して腰掛け、グラスをもらって飲み物を注いでもらい、それを飲みながら参加者同士感想を述べ合った。

その時自分や他の参加者が述べたのは、視覚が働かないことの怖さ、聴覚や嗅覚がこんなに働くということに対する驚き、他者との協力の貴重さの発見等であった。サポーターからは、初めはみんなの歩幅はとても狭かったがだんだん広くなったという指摘を受けた。見えなくても彼には分かるらしい。また、彼に尋ねたところ、部屋の中の様子は既に完全に頭に入っているので、声をかけられればすぐに駆けつけられるとのこと。(ちなみに彼は杖を持たずに歩いていた。)視覚障害者の空間把握というの一体どうなっているのだろうか。

終わってから考えたこと。われわれは視覚があっても光がなければ何も見ることができない。生まれた時から光のない世界で生きてきたなら、視覚を持っていることにすら気づかないだろう。
同様に、実はわれわれは別の感覚を持っているにもかかわらず、それを働かせる条件となる、視覚における光のような何かがわれわれの周りに欠けているために、その感覚に気づいたことがない、という可能性もあるのではないだろうか。
オカルト的なことを述べるつもりはないが、理論的にはあり得ることだろう。

Wednesday, July 02, 2008

悲観論

何年か前には、物価が下落を続ける中で、インフレ待望論がかなりあったと思う。
いざ、石油をはじめとして諸物価が急激に上がり始めると、景気の先行きについては悲観論一色だ。ごく一部の地域を除いて地価は下落傾向が続いているから、インフレ待望論が想定していた、地価の上昇→不良資産の処分促進→景気上昇というわけにはいかず、悲観論になるのもやむを得ない状況なのかもしれないが。

それにしても、Xになっても反Xになっても悲観論、ということが世の中にはよく見られるように思う。
これはもしかすると、人間の宿命なのかもしれない。
intention、意図、目的意識を持っているということが、ヒトがヒトたる所以。「人生の目的とは何だ?」と悩んだり、「目的がなくなって生きていくのがつまらなくなった」などということを言うのは人間だけだ。
常に楽観論に立っていたのでは、「この問題を解決するために、こうしなければならない」という思考は出てこない。悲観論は、目的意識を持とうとする人間の本性の産物なのではないか。

Thursday, April 10, 2008

人形

幼稚園児や小学校低学年の児童は人形が大好きだという。交通ルールなども、「ブタさん」や「クマさん」の人形を使って教えると、目を輝かせて聴いているとか。
この、小さい子は人形が好きということは、脳の働きの発達と関係があるのではないだろうか。つまり、自分以外の存在を「心を持ったもの」として捉えることは、人間にとって不可欠の能力であり、幼児は、自分を統合された存在であると捉え、自分の行動を意識的に統合することを身につけると、次の段階では、自分と同様に自らの意思で動く統合された存在を身の回りに発見していく。まずは母親なのだろうが、徐々にそれ以外のものにも「心」があることに気づき、身の回りのものを「心」を持ったものと持たないものに区別することを覚えていく。
その段階で、「心」を持った存在に出会うことは、幼児にとって、心躍ることなのだろう。自分の仲間に会うわけなのだから。

世界中に、人形を使った芸能があり、その中には文楽のように高度に発達したものがある。このことも、人間が、身の回りのもののなかに「心」を見出すことを楽しむ存在であることと関係があるように思う。

Sunday, March 30, 2008

文楽

先月、初めて文楽を見た。綱大夫、勘緑、「冥途の飛脚」。今までにない類の感銘を受け、ブログに書こうと思ったのだが、どう書いていいのか分からないまま時間がたってしまった。

昨日、家人が見ているテレビを覗いたら、「文楽入門」。住大夫、錦糸、玉男、文雀、簑助ほかという豪華メンバーによる「伊賀越道中双六・沼津の段」のところどころを見せながら、住大夫が話をしている。
しまった、こんないい番組があったのかと思いつつ見ていて、一つ気づいた。
人形が小さく見える。国立劇場の公演を一緒に見た家人も同意見。

テレビであれ舞台であれ、顔が見えている主遣いと人形は一緒に目に入っているわけだが、テレビの場合、その大きさの差をどうやら客観的にそのまま見ている。
一方、舞台では、主遣いは見えてはいるのだが意識の中でずっと背景に引いており、人形が意識の大半を占めている。
そうとしか思えない、人形の大きさ感の違いだった。
舞台では、人形遣い、大夫、三味線の技の総体に、意識がまるごと引き込まれていたということなのだろう。

「冥途の飛脚」の道行相合かごの場面、立ち上がった伊兵衛はぼくには等身大の存在だった。人形は人形として見えているのだが、しかし、それは、心を持った人形なのだった。

http://www.ntj.jac.go.jp/performance/1711.html

Sunday, March 16, 2008

問題

梅田望夫氏が、フォーサイト3月号で紹介しているまつもとゆきひろ氏の言葉に、そうか、そういうことだったんだと思った。
「ほとんどの人は、適切な大きさと複雑さを持ったいい問題を探しているんですよ」
梅田氏が、リナックスのようなオープンソースプロジェクトに集まる人々の動機を問うたのに対するまつもと氏の答である。
まつもと氏はさらに言っている。
「新聞にクロスワードパズルが載っているでしょう。あれですよ。見つけると解きたくなる人がいる」

ぼく自身がそうだ。何かを書きたいという気持ちがあっても、何を書くか、テーマが見つからない。でも、手頃なテーマを与えられると書ける。問題が与えられると解決しようという意欲が沸き、解決すると達成したという喜びがある。

ヒトが他の生物との生存競争に勝てるようになったのは、反射的行動だけではなく、意図的行動ができるようになったからだと本で読んだ。サルも意図的行動をするが、ヒトはそのやり方に磨きをかけた。
適当な意図を持つと意欲が沸くように、われわれの遺伝子はプログラムされるに至ったのだろう。

「適切な大きさと複雑さを持ったいい問題」を提示すること、これは誰にでも与えられた能力ではないらしい。
だから、独創的な研究者や、ベンチャー企業を大企業にまで成長させる経営者は、そうはいないのだろう。

Tuesday, February 12, 2008

サラ・ジー展

銀座のメゾンエルメスでサラ・ジー展を見た。
http://www.tokyoartbeat.com/event/2008/5A4D

2フロアの3分の2は吹き抜け、途中にエレベーター、半透明の正方形のガラスが通り側一面に並び、それに沿って5本(見えるのは4本)の丸い柱が立っている空間。作品は、その空間でのインスタレーションだ。

初めてこの空間に入ったアーティストは、当然にその物理的な空間を見たのだろう。そこに、物理とは原理の異なる力を加えて再構成した空間、というのが、このインスタレーションを見ての第一印象だった。
物理的には壁と柱で支えられ、天井と床の間の隙間を生み出している空間、そこには目には見えない押す力や引く力が働いているわけだが、サラ・ジーは別の力学をそこに加えて見せたのではないか。
部屋の一番奥にある柱を、タオルや枕を積み上げた柱状の物に置き換え、そこから荷造り用のロープやテープ、糸などを張り巡らす。ロープは滑車を経て段ボール箱などをつり下げている。日常生活の要素が生み出す、新しい押す力と引く力。力の均衡。もともとの物理的な力のバランスに新しいバランスが加わって、エルメスの空間は全く新しい空間、いわば次元を一つ加えた空間のようだ。

「生活」というのがこの作品のキーワードの一つであることには誰も異論はないと思う。並べられているのは衣食住そのものである。印刷業者が使うような色見本カードなどもあるが、作者にとってはこれも日常生活に違いない。
その、生活が、空間になる。生活空間ではない。生活というものを空間として、独特の力学が働く空間として見るのだ。
わけの分からないことを言っているように思われるかも知れない。自分でも、自分の印象が突飛かもしれないという思いはある。実は、このインスタレーションを見る前に、立ち読みをした本がある。ダニエル・タメット「ぼくには数字が風景に見える」。著者は共感覚の持ち主で、例えば我々には無味乾燥な数字の羅列であるパイも、彼にはビジュアルな線の流れとして感じられるのだという。だから彼は、風景を目に焼き付けるようにしてパイを2万2000桁覚えることができた。
歯ブラシ、タオル、枕、段ボール箱、ピーナッツ、電球、扇風機、等々の生活要素が、単に生活要素として見えるだけでなく、一種の空間的な力(重力や斥力や磁力のように)を持っているものとして感じられ、それぞれの力がうまく働き合い、均衡(静的とは限らず動的であってもいい)するように配置していったら、この作品ができた。そんな見方をしてしまったのである。

もちろん、作品には色々な見方がある。ぼくの同行者は、時間の流れを感じたという。そう思って見直すと、確かに、ここには積み上げられた時間、そこから滔々と流れていく時間がある。あるいは逆向きに、日々のささやかな流れが大きな流れを生み出し、やがて塔のようなモニュメントを創造するに到ったと見ることもできるだろう。

また、当然、銀座のメゾンエルメスという、富の象徴のような社会的意味を帯びた空間に、何気ない、穏やかな日常を展開し、豊かさの意味を問うているのだと見ることも可能だろう。

あるいは、ぼくの同行者が驚喜していた作品の細部、例えば、少し傾けて床に立てられた、青い点つきナッツを刺したピンの集まり、というようなところにこそ、作者のエネルギーの相当部分が封入されている、というようなこともあるのかも知れない。
そういう色々な見方ができることが、この作品の大きな魅力だと思う。

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読み返すと、サラ・ジーのこの作品の固有性が殆ど書けていない。インスタレーション一般に当てはまることばかりだ。しかも凡庸。
本来、大幅に書き直すべきなのだろうが、きちんと直せる見込みもない。この作品に対した時のぼくの視点が、そもそも個を捉えきれないようなものだったような気もする。
情けないが、このまま晒しておく。

Monday, January 28, 2008

テレビ

ふだんは朝のニュースぐらいしかテレビを見ないのだが、昨日は珍しく合計3時間以上見た。

1 日曜美術館
 パティシエの辻口博啓氏に長谷川等伯「松林図」を語らせるという趣向。パティシエならではだなと思ったところは特段なかったが、七尾出身ならではの見方があり、そこは斬新だった。
 あの松林は、海から見たものに違いないというのだ。テレビカメラは、現在の七尾の防風林を船から撮してみせたが、なるほどと思えた。若き等伯が京都に上る時、荒れた海から見た強風に耐える松林だというのが辻口解釈。長男を亡くした等伯が、悲しみのどん底で、自分の原点である郷里の松林を、苦難に耐えてさらに進もうという思いで描いたというのだ。辻口氏自身の若い頃の苦労をそこに重ね合わせて。
 等伯の心理は分からないが、今までぼくは松林図をどちらかというと静的なものとして見てきたので、動的なものと見る視点は新鮮だった。

2 大阪国際女子マラソン
 15キロあたりから折り返したあたりまでしか見ていない。初めてのフルマラソンでこんなに飛ばして、福士は途中でダウンするんじゃないだろうかと思ったが、あとでニュースで見ると、転びながらのゴールイン。
 結果からすれば、無謀な走りだった。でも、無謀な挑戦によって切り開かれる地平も間違いなくある。挑戦することを選んだ福士に拍手。

3 大相撲初場所千秋楽
 これより三役のみ視聴。というか、結びを見たかったわけだが。
 がっぷり四つの力相撲。朝青龍が吊りきれずわずかに力が抜けたところを白鵬の目の醒めるような上手投げ。相撲はこうでなくっちゃ。観客も協会もみんなハッピーでした。

4 大河ドラマ「篤姫」
 主役がのびのびやっていて気持ちがいい。高橋英樹の島津斉彬ははまりすぎ。この人、お殿様以外だったらどうするんだろう。
 一杯やりながら気楽に見て、ちょっぴり歴史も勉強できるこういう番組も、悪くないな。題材が大河向きじゃない(つまり、史実としてのエピソードが少ない)と、途中だらけてしまうけど、今回は幕末だからその心配はないでしょう。

Tuesday, January 08, 2008

当面の方針2008

1年前に書いた当面の方針は、3つのうち一つしか守れなかった(Emotion Machineを読む)。その一つも、期限を大幅にオーバー。
意志がすこぶる弱いとも言えるし、その意志の弱さを踏まえた現実的な方針ではなかったとも言える。いずれにしても、自慢できた話ではない。

以下の2008年版、少なくとも現時点では、なんとか守れると思うのだが・・・

1 毎月少なくとも2冊、本を読む(文芸、ハウツー等除く)。
2 毎週少なくとも1回、ブログを書く。
3 毎週少なくとも10分、英語を使う。
4 毎週少なくとも30分、運動する。
5 一人で外で酒を飲むのは、週1日以下とする。
 
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