日本経済新聞連載の「等伯」が昨日で終わった。
見事な小説だった。 安部龍太郎さんは、等伯の生涯を書くことにより、「松林図」、人の手によって描かれたことが奇跡とさえ思えるあの松林図が何故に描かれ得たのかという根源的な問いに対し、一つの解を示してくれたのだと思う。
講演で聞いた安部さんの話では、等伯に関する資料は少なく、特に京都に出るまでのものはほとんど無いとのことである。当然、想像力を駆使して、僅かな断片的事実をもとに全体を組み立てることになるわけだが、安部さんは深い洞察に基づく創造として、その仕事を成し遂げた。歴史・芸術小説の粋がここにあると思う。
人が人を殺すこと、自分の肉親が他人に殺されるばかりではなく、時には自分が人を殺さざるを得ない状況に巻き込まれることさえ稀有とは言えなかった時代。
等伯が生きたのはそういう時代なのだ。等伯は、信長や秀吉に命を脅かされ一方で彼らのために描き、命を捨ててでも信念を曲げなかった利休や高僧の教えを受け、自らの命を賭して狩野派と争い子を失った。
見事な小説だった。 安部龍太郎さんは、等伯の生涯を書くことにより、「松林図」、人の手によって描かれたことが奇跡とさえ思えるあの松林図が何故に描かれ得たのかという根源的な問いに対し、一つの解を示してくれたのだと思う。
講演で聞いた安部さんの話では、等伯に関する資料は少なく、特に京都に出るまでのものはほとんど無いとのことである。当然、想像力を駆使して、僅かな断片的事実をもとに全体を組み立てることになるわけだが、安部さんは深い洞察に基づく創造として、その仕事を成し遂げた。歴史・芸術小説の粋がここにあると思う。
人が人を殺すこと、自分の肉親が他人に殺されるばかりではなく、時には自分が人を殺さざるを得ない状況に巻き込まれることさえ稀有とは言えなかった時代。
等伯が生きたのはそういう時代なのだ。等伯は、信長や秀吉に命を脅かされ一方で彼らのために描き、命を捨ててでも信念を曲げなかった利休や高僧の教えを受け、自らの命を賭して狩野派と争い子を失った。
そういうことの全てがあって初めて、あの「松林図」は描かれ得た。殺戮の世において殺戮者の求めに応じ描く、応えきれなければ命を失うと覚悟して描く。そういう状況で、等伯はついに自らの生死を離れた境地に達し、誰のためでもなくただひたすらに心が捉えた浄土として霧の中の松林を描いた。
それでこそ、松林図は、殺戮者自身をも救う絵となり得た。
安部さんのこの仮説を、私も信じる。

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