Sunday, September 21, 2008

野依博士の言葉

野依理科学研究所理事長が今月、日経に履歴書を書いている。実に簡潔明瞭。博士の論文もこのようなのだろうと想像する。

9月18日掲載分」から。
「科学研究では、本質的な問題に対する明快な解答が高く評価される。しかし、良い問題の発見こそが創造の根源である。個人の資質に依存するが、人の思考力には限界がある。異質の考え方と技術の集積、掛け算こそが新たな力を生む。さらに綿密な計画遂行の間にも、予期せぬことが起きる確実性に妙味がある。」

「本質的な問題」、「良い問題」を徹底的に重視する姿勢は、履歴書全体の基調になっている。裏返せば、多くの研究、研究者に対する厳しい批判でもあろう。
また、異質のものの掛け算に対する期待は、博士が現在力を入れている学際間の連携や産学連携の基本精神だろう。

9月20日掲載分から。
「科学の進歩の鍵は独創的研究であるが、その可能性の評価は難しい。見かけの公平性の担保のために無責任な多数決民主主義を適用することは賢明でない。欧米で流行し、皆が良いと判断する課題は既に後追いだ。」

自らは学界でほとんど相手にされなかったテーマの研究を進め画期的な成果をあげた博士だからこその言葉。見かけの公平性うんぬんのところは、実際の経験を伴う批判であることが、今日の分を読むと分かる。博士が進めさせようとした最近の研究に対し、役所は実に冷たかったらしい。

科学研究に莫大な費用がかかるようになるとともに、研究戦略が一国の盛衰を左右しかねないのが現代。研究テーマの選定に行政が関与せざるを得ないが、そこは見かけの公平性を第一原理とする所だから、この問題の解決は本質的困難を抱えている。
結局、よくは分からないがこの先生の言うことに賭けよう、というやり方が一番なのだろうと思う。多くの専門家に対しフィードバック方式のアンケートを繰り返す方式もよく試みられたが、多数意見のプレッシャーを感じて少数の突出した意見の角が丸まっていきがちだ。
「この先生」の選択が重要だが、これまた難しい。年齢にかかわらず先見の明を持ち続ける大家もいるだろうが、権威はあるものの実は先端的な動きの価値が分からなくなっている人も少なくないだろう。

例えば、ニュートリノ研究と、脳科学研究のどちらも重点的に進めたいが、予算は数百億円で分配してはどちらも成果が出ない、一方に重点配分するしかない、という状況があったとする。ニュートリノ陣営の総帥は当然ノーベル賞の小柴博士、脳科学陣営のキャプテンは理研の甘利博士だとする。どちらが50年後の日本のためになるかなんて、文部科学省の役人にはとても判断できない。こういう状況下で、小柴博士に賭けるか、甘利博士に賭けるか。
本来こういう場合は、両分野のトップだけではなく、メタ分野(科学哲学とか、技術史とか、産業技術論とか)の大家が出てこなくてはならないのだが、どうもメタ分野の大家より、個別分野の大家の方が今の日本では権威者と評価されているように思える。

「この先生」選択の優れた方法を開発することと、メタ分野の研究をもっと進展させ大権威を生み出すことが、今の社会には必要だ。

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