Wednesday, March 03, 2010

機械と感情

コインを投入し欲しい商品のボタンを押すと、商品が出てくるのに合わせて「ありがとうございました」と発声する自動販売機がある。
この機械が「ありがとう」という気持ち、購入者に対する感謝の感情を持っていると考える人はまずいないだろう。

では、人が感謝の感情を持っていると、我々はどうやって判断するのか。「ありがとう」のような感謝の言葉が発せられるなど感謝表現が為されているかどうかは、一つの重要な判断根拠になる。また、その言葉が、感謝を示すのに適した状況で発せられているかどうかも、チェックされている。そのようなチェックを自分がしていることを、我々は通常あまり意識してはいないが、感謝表現に適さない状況、例えば悪態をつかれて「ありがとう」と言う人がいたら我々はそれは感謝ではないと判断することを考えれば、実はチェックしている。

この、感謝表現の有無、及び、感謝表現に適した状況かという二つのチェックポイントだけなら、先の自動販売機も「感謝の感情を持っている」と判断され得る。
しかし我々はそう判断しないのはなぜなのか。

感情を持つ主体には、一定の相貌がある、というのが我々の前提なのではないか。
同じ機械であっても、鉄腕アトムであれば、感情を持っているとしてもおかしくないと我々は思う。
(相貌は、単に顔かたちの問題ではなく、ふるまいも含めてのものである。)
動物の中でも哺乳類は感情を持っているように思えるが、魚類になると多くの人は「感情なし」と判断するのではないか(だからおどり食いができる)。
植物は感情を持たないとするのが普通の立場だろう。しかし、水やりを忘れて元気がなくなった植物に「ごめんね、喉が渇いてつらかったろうね」などと声をかける人は少なくない。この場合、その人たちは、植物のふるまいを、感情を持つものの相貌として捉えているのである。

一方で、感情を持っていてもおかしくない相貌を備えたターミネーターは、初めは感情を持たない機械として描かれている。主人に従うのはそうプログラムされているからであって主人に好意を持っているからではない。敵と戦うのもそうプログラムされているからであってその敵を憎んでいるからではない。どんなに見かけは人間そっくりでも、機械はやっぱり機械であって感情はないのだ、という考え方でこの映画は作られている。
ところが、最後にターミネーターは涙を見せるのだ。機械はどのようにして感情を持つに至るのか。この映画の答は「学習」である。人は感情を持っているのだということを少年が何度も教え、ターミネーターはそれを徐々に理解し、最後には自ら感情を持つということになっている。

ここで、真面目に問わなければならない。学習によって感情を持つに至る機械を作ることは可能か。

(続く)

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