人間が40度の風呂に入って「ちょうどよい温かさだな」と感じることと、温度計をその湯に入れたところ目盛りが40度を指すこととは、まるで違うことだ。温度計は、「ちょうどよい温かさだな」と感じているわけではない。われわれは、そう確信している。
では、その温度計に少し工作し、40度の湯に入れると「ちょうどよい温かさだな」と発声するようにしたらどうか。(この程度のセンサーと発声装置を備えたおもちゃなら今いくらでもあるだろう。)
それでもわれわれは、その機械(器具)が温かさの感覚を持っているとは思わないだろう。たとえその発声装置付き温度計の言うことがわれわれ自身の思いと一致したとしても。
機械には人と同じ感覚は持ち得ない、ということをわれわれはあたかも自明のように思っているということだろうか。
犬やアザラシに似せたロボットの人気のことを考えると、そうとばかりも言えないのではないか。われわれは、それらのロボットが実際の動物と同じ感覚は持っていないと頭では理解しつつ、あたかも同じ感覚を持っているかのような彼らの反応に喜んでいる。これは、ロボットが感覚を持つことを許容していることなのではないか。
さらに、どこからどう見ても人間としか見えないロボットが作られたとして、彼(それ)が風呂に入って「ちょうどよい温かさだな」と言ったとすれば、われわれはもちろん何の違和感も持たないだろう。彼はわれわれと同じような感覚を持っていると思うだろう。
では、その時、そのロボットが自分の胸をパカッと開けて中のメカニズムを見せてくれたらどうか。実は彼はロボットであったと知った時、我々は、彼は感覚を持っているふりをしていたのだと思うだけなのだろうか。
感覚を持つとは、我々と同じ脳や神経の機構を持つことが前提とされることなのだろうか。
しかし、我々自身、風呂に入った時の温かさの感覚とは一体何なのか、実は説明困難なのではないだろうか。
それは、機械がセンサーで温度を測り「何度です」とか「ちょうどよい温かさだな」と発言することと比べて、何が違うのだろうか。機械による測定・反応と比べ、何か別のものがそこにはあると我々は確信しているが、では、それは一体何なのだろうか。
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