(これまでの「哲学ノート2」はここ。)
杖を私の身体の延長と捉えられるのは、私が杖を操作できるからである。私は私の身体を、私に感覚をもたらすものというだけではなく、私が私の意志で動かしているものとして、捉えている。
従って、私と薬缶の間にある空気は、仮に熱の感覚を私にもたらす媒体であってその点で杖と同様だと言えたとしても、私が私の意志で動かせない以上、私の身体として捉えられることはないのである。
竹馬の名人は、竹馬を自在に操りかつ先端から地面の感触を得ている。従って、彼にとって竹馬は自分の身体の一部に近いものと捉えられているだろう。自分の身体とどこが違うかといえば、分離されることがある点である。(もし、分離される時に強烈な痛みが伴えば、自分の足同然ということになる。)
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