Sunday, May 31, 2009

目標設定

健康のためには、歩くことが効果的であることは分かっている。それではと、体重を何キロにすることとか、体脂肪率を何パーセントにすることとかを目標に設定し、毎日できるだけ歩こうと決めても、あまり続かない。他の人は知らないが、少なくとも自分は、そういう意識を持っただけでは、歩行量が目に見えて増えるということはなかった。

ところが、一種の万歩計を持った途端に、歩行量が増えたのである、飛躍的に。
この万歩計は、一日の目標歩数を設定し、その目標達成度に応じて、画面上の漫画的なキャラクターが成長していく。他愛ないものなのだが、これが効くのだ。
今設定している目標は、一日7000歩である。平日なら少し努力する程度で達成できるが、休日に家でごろごろしていると全然届かないレベルである。達成しないと、成長して来たキャラクターが逆戻りしてしまう。それがいやで、外に出て歩こうという気持ちになるのである。以前は車で行っていた郵便局に歩いていくようになった(実は歩いても5分なのだから、なんということはないのだが)し、その郵便局からの帰り道は、家への最短コースをとらず、わざわざ遠回りをするようになった。ちょっとした買い物などが必要になると、それは歩数が稼げてありがたい、ぼくが行くよ、とさえ言うようになったのである。

キャラクターの成長は、毎日目に見える達成である。しかも、歩くという行為との関係は直接的である。体重や体脂肪率の変化は、これに比べれば毎日はっきりとは目に見えないし、歩行との関係も直接的ではない。一日たくさん歩いただけでは体重は減らないし、少し食べ過ぎれば逆に増えてしまう。
キャラクターの成長そのものは、自分の健康という目的とは本来何の関係もない。しかし、キャラクターを成長させたくて毎日歩けば、結果的には健康にもつながっていく。そういう意味で、キャラクターを成長させるという目標は、媒介目標とでも言うべきものである。あるいは、本来の目標達成時に与えられる褒賞(例えば健康)を目指す過程での媒介褒賞と言うべきか。歩数を媒介目標、キャラクターを媒介褒賞、健康を本来の目的と捉えるのが、正確かもしれない。
媒介目標である歩数の達成度や達成の継続性、累積をも見えるようにし、媒介褒賞として機能するようにしたのがこのキャラクターということになる。

小学1年生に、ノート1ページ全部のマスにひらがなを書いてきなさいという宿題を与え、書いてくればハナマルを書いたり「よくできました」スタンプを押す。スタンプシートを別に作り、シート1枚にスタンプがたまったら、「がんばりました」賞状を与える。
これも原理はキャラクターと同じである。(こちらが本家で、キャラクターはここから発想を得たのかもしれないが)子供は、その賞状をもらうことを目当てに、がんばる。
「がんばりました」賞状自体は、学力の向上を直接示すものではない。しかし、「がんばりました」賞状がたまってくる子の学力は、やはり向上しているのである。
先ほどの概念規定を用いれば、文字数が媒介目標、賞状が媒介褒賞、学力の向上が本来の目的ということになる。

大人になると、賞状がなかなか効かなくなってくる。万歩計のキャラクターの成長にも、慣れてくるとさほど一喜一憂しなくなる。事情あって達成できないこともあり、それでキャラクターが逆戻りしたからといって、大人は悲しんでいるわけにはいかない。
大人は、賞状やキャラクターのような媒介目標そのものが重要なわけではないことを知っている。
一方で、毎日ノートのマスに字を書くこと、毎日一定の歩数以上歩くことの重要性も知っている。その積み重ねが長い間に大きな違いを生むことを、大人は子供よりもよく分かっている。
その結果、大人は、賞状のような媒介褒賞はなくても、媒介目標の達成を確認できれば、自分が本来の目的に近づいているという充足感を覚えることがある。
例えば、ノートに、今日の歩数と、達成度合に応じたマーク(◎、○、×など)を記録するだけでも、○の連続を見て喜べるのである。


さて、目的成就のノウハウを書こうと思ったのではないのだった。
たくさん歩いて健康になろうというような目的意識を離れても、人は、たくさん歩くこと自体を目標にし、その達成を喜べる。時間の効率だけを考えたらあり得ないような遠回りの道をわざわざ歩いて、今日はたくさん歩けたと喜べる。
このことの意味こそ、実は重要なのではないか。
結果として何かいいことがあるのかもしれないが、それはおまけでいい。毎日毎日、数を重ね、多くの時間をかけることに喜びが見出せるような何かを持つこと。そのことこそ、人生において大きな意味を持つのではないか。

できるだけ多くの(以下同じ)花を見ること。都市を訪ねること。ラーメンを食べること。人と話すこと。俳句を作ること。等々。そういうことが、生きる上で大きな意味を持ち得るのである。それが何であるかは、それぞれの人によるが。
私は、文章を書くことを選ぼう。1日400字以上。達成できない日があっても、1年10万字以上。

・・・・・

できるだけ多くの日数生きること、はどうなのか。どうやら我々は、進化の過程のどこかで、それだけでは満足できなくなってしまったのかもしれない。喜ぶべきことなのか悲しむべきことなのかはともかく。

(2173字)

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