音楽の好みはその人の何たるかを表す結構重要な要素である、また、音楽の好みが同じ者同士は気が合う可能性が高い、少なくとも話のきっかけはつかみやすい、という考え方は今日では一般的なのだろう。プロフィールに音楽の好みを書くように なっているブログサイトは多いし、Livejournalなどでは、今何を聞いている、という書き込みがフォーマット化されている。
この考え方にたってユーザーを引き付けようとするサイトの最先端がLast.fmだと言っていい。
なんと、曲名を自分で打ち込むまでもなく、ただ音楽を聴いていれば、今何を聴いているかがサイトに自動登録されるし、今週誰の曲を一番聴いたかレーティングも勝手にしてくれる。「この曲が好きだ」というマーキングとか、音楽についてのコメントなど、少し詳しい情報は自分で打ち込むようになっているが、簡単なことだったら全く手を使わなくてもこのサイトは自分の音楽の好みを世界に向けて発信してくれてしまう。この仕組みさえできれば、あなたと同じような音楽の好みを持っているのはこの人です、と示すことなどこれまでのSNSで開発された技術を使えばたやすいことだ。
自分の活動を常時モニターされているという捉え方をすれば、これは大変なことの筈なのだが、音楽という範囲の中ではあまり抵抗感がないことには我ながら驚いた。これが、例えば、「今見ているもの」だったりすると、世界中に公表されて恥じない目の動きをしているか、全く自信がない。まあ、音楽でも、こんなもの聴くのかと思われたくないものも少しはあるが。(そのときは、自動登録機能を停止すればいい)
その抵抗さえなければ、Last.fmが提供してくれることに対してはポジティブな驚きしかない。今、この瞬間に、Cesaria Evoraを聴いている世界の中の誰かを教えてくれるなんて、1年前にだって想像もできなかったことだ。
このようなことが可能になった一つの要因は、明らかにデジタル化だろう。音楽が一番デジタル化しやすかったということだ。今食べているものの自動登録なんて、どう考えても無理そうだ。
もう一つの要因は、音楽がパッケージ化されているということ。そして、ほぼその延長上のことだが、パッケージに名前がつけられているということ。Last.fmは、音の流れを分析して曲名やアーティスト名を判断しているわけではない。CDからiTunesに曲を取り込むと、たいていの場合曲名やアーティスト名も自動的に入力される。Last.fmはその情報を使っているにすぎない。
音楽以外でこのようなことが可能なのは映像だが、映像版のLast.theaterはそう簡単に成功しないような気がする。一つの問題はパッケージのボリュームが大きいから、そもそもiTunesのようにばんばんPCには取り込めない。また、映画一本を見るには時間がかかるから、「今これを見ています」情報がなかなか更新されない。音楽なら、知り合いの動きを見ていて、「お、今度はこれか」、「マリア・カラスの後にビリー・ホリデイを聴くとは変な奴だな」というようなライブ感があって楽しいが、映画ではこうはいかない。
もっと大きな問題は、パッケージ化された映像を見ることは、嗜好の伴う視覚経験の中のごく小さな一部としか我々が思わないことだろう。今見ているDVDはあなたの視覚的な嗜好を相当程度示していると言われたら、かなり抵抗があるはずだ。音楽も聴覚経験のごく一部でしかないが、嗜好を示す上では代表的な位置を占めると言われてもさほどの違和感はない。
(意識的な聴覚経験の非常に多くの部分である言葉の聴覚は、音楽とは全く異種の経験として切り離されて専ら記号処理の方に区分され、嗜好が云々されるのは音楽のような聴覚経験に限られるからなのだろう。)
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