茂木健一郎のことは、彼がイギリスにいたころから気になっている。何かやってくれそうな期待をずっと持っている。クオリアを打ち出したのはなかなかのヒットだと思う。ただ、まだホームランとは言えないのではないかと思っている。
音楽にも美術にも文学にも並々ならぬ関心を持つ彼の態度は正しいと思う。そうでなければ本当の脳科学などできるわけないと思う。多くの脳科学者のように、ごく狭い領域を深く掘っても、探り当てられることは極めて限定的だろうと思う。
一方で、ここまで関心領域を広く持ってしまったら、一つの理論をまとめあげるのは大変なことだろうとも思う。
さはさりながら。
今朝の日経文化欄で、茂木が内藤礼を取り上げていたのは嬉しかった。
かつて、佐賀町エキジビットスペースで内藤の作品の中に潜り込み、一人だけであの世界に浸った数分間が、ぼくのアート体験の中でも指折りの貴重な時間だったことを、あらためて思い出した。
茂木のように「ぞっとする」ことはなかったが、特別な感覚だった。手のひらに触れる柔らかな生地だけでなく空間全体から感じるぬくもり。まどろみを誘いそうなその感覚の一方で、か細い糸、小さなオブジェクトがもたらす微かな緊張。閉じられているのに恐れはなく、一人なのに孤独感はない。
こういう体験をも包摂できるような脳科学、いや、恐らくこういう体験の解明を中心に位置付けてこそ全体が構築されるような脳科学、茂木が目指しているのはそういうものなのではないか。
(内藤礼が97年のヴェネツィア・ビエンナーレ日本代表になったとき、素晴らしい人選だと思った。その割にあちらでの高い評価は聞こえて来ず、海外の専門家の感性は彼女に追いついていないのかと思ったが、実際は、一回一人限定方式のため作品を見られた人が少なかったという事情が大きかったようだ。巨大展覧会向きではなかったということか。残念ではある。)
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