色の場合の問題は、連続的な変化であるため、一つの色と他の色の差異が必ずしも明確ではないということである。
実はこれは、音声にも元来あったはずの問題だ。我々が例えば「こ」という音であると認識する音声には、微妙に異なる無限のヴァリエーションがある。ただ、それらは、他の音声と比較すれば類似度が高く、また例えば「さ」という音と認識される音声群とは音声空間全体の中で離れた位置にある音声群である。
色についても、色全体という無限の要素を持った集合から、有限の、例えば、50個の色群を選べば、これを言語における音声同様に用いることが可能だろう。
どうも話が当初考えていたことから離れてきてしまった。楽曲を一つの色に圧縮するというとき、実は、その楽曲と色との間には、何か共通の特性があり(例えば聴く者、見る者の気持ちを明るくする)、従って、一つの色に圧縮しても、元来の楽曲の特性は、極めて限定的ではあるにしても保持される、といったことを想定していた。例えば、モーツァルトのトルコ行進曲を圧縮すれば明るく澄んだ色、シェーンベルクの浄められた夜は暗く濁りを帯びた色、などと。
言語における音声のように色を用いる場合は、表すべき対象と色との間にこういう関係は不要だ。
少し話を飛ばしてしまうが、「かたじけない」という音声の組み合わせは、元来、かたじけないという思いとは何の関係もない。にもかかわらず、「かたじけない」という言葉が、かたじけないという思いを表しうるのは、言語空間全体が、「思い空間」全体と対応関係を持っているからだ。一つの言葉しかなかったら、言葉で思いを伝えることはできない。「かたじけない」も「申し訳ない」もあり、言語空間におけるそれらの言葉の距離が、「憎い」との距離よりは近い、そういった、言葉同士の関係全体が、思い同士の関係と対応を持つが故に、言葉で思いを伝えることができる。
圧縮というなら、言語空間全体が、思い空間全体の圧縮になっているということか。
同様に、特定の色群を選び、思い空間との対応関係を設定することはできるだろう。色の全体というものは空間的構造を持っている。つまり、個々の色を3次元空間にプロットし、色同士の距離の遠近を述べることも不可能ではない。前回「圧縮(3)」で述べたことは、特定の色群を、思い空間に対応させる上で有利に働くのではないか、という仮説に置き換えるべきだろう。
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こういうことは、言語学なり記号学で初歩的な議論として論じ尽くされているのかもしれない。不勉強をさらけだしてしまった。
「圧縮」というタイトルも適当ではなかったが、別タイトルを考えるのも面倒なので、このままにしておく。
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